第383回山行報告 塔の岳(’10/11/6〜7)
 前回の山行はバテバテで山行の間が開くとこうなるという見本のようなものだった。前回は半藤一利先生の講演幕末史CD15枚組の第7巻までを通して聴いた。なるべく早く残る第8巻から第15巻を通して聴きたいと思ったのでこの週末は丹沢だと決めた。

 10時30分大倉から歩き出した。第8巻「長州征伐〜薩長同盟」からだ。足下を見てただ黙々と歩くだけだ。今日は前回のこともあるので写真だけは忘れずに撮らなければと思った。デジカメは時間の記録に欠かせないのだ。

11時22分見晴小屋(11分休憩)
12時1分一本松(7分休憩)
12時46分堀山の家(8分休憩)
13時19分小草平(7分休憩)
13時55花立山荘(24分休憩昼食)
14時57分塔ノ岳山頂(3分休憩)
15時26分木の又小屋

 第8巻「長州征伐薩長同盟」、第9巻「孝明天皇の死と慶喜将軍誕生ええじゃないか」、第10巻「倒幕の実行鳥羽伏見の戦い」上、第11巻「倒幕の実行鳥羽伏見の戦い」下、第12巻「慶喜江戸へ逃げ帰る江戸城無血開城」と聴いてきたが、第13巻「彰義隊の抵抗戊辰戦争」を少し聴いたところで木の又小屋だ。今日はこれで終わりとする。こういう講演でも聴かなければ第2区間(見晴小屋から一本松)、第4、5区間(堀山の家から花立山荘)の階段は登れそうもない。かえってこの箇所で精神を集中して講演を聴く事が出来るのだ。それにしてもと何度も思った。幕府にも開明的な人材が少なからず居たはずなのにと思った。松平春嶽が慶喜を評して、「百才あっても胆力一つなければただの猿芝居」と言ったそうだが、上に立つものが定見見識がなければ治まるものも治まらないという事なのだろう。

 15時26分木ノ又小屋に着いた。大倉からの所要時間はおおよそ5時間だ。今日は格別の疲れは感じない。顔見知りのKさんが若い人を伴ってきた。ランプの下でストーブを囲んで賑やかな話に盛り上がる。

 7時55分木ノ又小屋を出た。5時頃早立ちの自炊組の物音で目が覚め小用で起きる。この後布団に潜り込んで一寝入りをした。8時25分山頂に出た。富士山はかすかなシルエットでしか見えない。尊仏山荘に入ってコーヒーを飲んでひとしきり四方山話だ。第13巻「彰義隊の抵抗戊辰戦争」、第14巻「明治の幕開け西南戦争」上、第15巻「明治の幕開け西南戦争」下を聴きながらゆっくりゆっくりくだってきた。1853年黒船来航から始まり1877年の西南戦争までの30年にも満たない期間に様々なことがあったのだと改めて思った。とりわけ統帥権という昭和史のキーワードが西南戦争の結果として明治憲法の成立前に確立したという半藤先生の指摘は複雑な思いで聴いた。

 11時57分大倉に帰りついた。11月はもう一回登りたい。それにはハードに保存してあるmp3フアイルから何か面白いものを選んで編集しなければならない。とにかく講演か朗読を聴きながらこの大倉尾根を登る。これが私の登山スタイルだ。新潮社から小説の朗読がCDで出されているが、大手の書店でも扱うところが少ない上、いかにせん値段が高すぎる。自分で一番予想外だったのが目だ。家では本を眼鏡を変えたり、拡大鏡で読んだりするが、だんだん面倒になり東洋経済を読むので精一杯だ。パソコンは24インチのデスプレイを使っているので何とかなる。近いうちにコンピュータ各社からIpadのような端末が出そうだが、これが出れば青空文庫からダウンロードし大きなフオントで読みたいものと思う。高齢化社会なのだからこういう需要はいっぱいあるはずだと思う。


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