第378回山行報告 塔の岳(’10/5/2〜3)
 久しぶりの山行きだ。4月何回かエンジンをかけるがどうもうまくかからない。すぐにストンと回転が落ちてしまうのだ。そんなことでこの連休にはどんなことをしてもエンジンをかけなければと思った。でも4月は何もしなかったわけではない。永年気にかかっていたことが解決した。48年前、大学に入ると同時に親友の紹介で小学6年生の男の子の家庭教師を引き受け、この子が中学3年の夏まで続けた。私は9月に突然病気で入院を余議なされ、就職に失敗し、彼にとっては高校入試を控えた大事な年に中途で終わってしまった。昨年から高校の同窓会に関係するようになって4月に同窓生名簿CD版を見ることが出来た。そんな経緯で彼の住所電話番号を知った。私は10期で彼は19期だ。思い切って電話してみた。吃驚した様子であった。先生のお蔭で早大理工を卒業して大手石油化学会社に勤めて、この2月に定年で、3月から週に3日子会社に出ていますという。ご両親も健在だという。そんなことで練馬のご両親のお宅にご挨拶にお伺いしたのだ。とにかくこうして生きてここまでたどり着けたのだと感慨無量であった。

 9時33分大倉から歩きだした。「千のイタリア多様と豊穣の近代」(全12回)(日本女子大学教授北村暁夫)だ。ひたすら下を見て講演を聴きながら歩くだけだ。見晴小屋を通過した。木道の地点で2回分が終わった。1時間だ。ここで休憩だ。登山道から少し離れた地点にザックを下し座り込む。淡い木々の緑が春を実感させてくれる。10人くらいのグループが1列になって木道を登って行く。中の一人に目が止まる。小学生なのだがハンチングをかぶっている。なかなか様になっているのだ。3回、4回を聴きながらひたすら下を見て歩いた。スピードは出ないが、エンジノの調子はまあまあのようだ。格別悲鳴をあげている様子はない。ラジオ講演が上質なオイルの役割を果たしてくれているようだ。11時38分堀山の家に着いた。ここで何時ものようにコーヒーを飲んでストーブの前で休憩だ。ここから5回、6回を聴きながら歩いた。イタリア社会の複雑な背景を改めて認識した。戦後日本の経済の構造を大きく変えた農地改革がイタリアでは不完全なままに終わったことなどだ。気がついたら花立の階段を登り切っていた。花立山荘だ。時計を見ると1時13分だ。大倉から3時間40分だ。大抵、3時間10分前後とすると30分オーバーしているが、それにしても意外な感じだ。3か月もブランクがあるともう少しエンジンが悲鳴を上げてもおかしくないと思っていたが、こういう上質なオイルがあると回転も滑らかなのかもしれない。ここで何時ものようにトン汁を頼んで昼食だ。1時36分に小屋を出た。ここからは趣向を変えて「交響曲の楽しみ」(全12回)(東京音楽大学教授宮本文昭)だ。のっけから型破りな話でどんどん引き込まれてしまった。2時13分に塔の岳山頂に出た。山頂は連休とあってさすが人が多い。すぐに表尾根を下って木ノ又小屋に向かった。さすが連休だ。木ノ又小屋も宿泊者が多い。顔見知りのIさんやwさんがいる。夜はランプの下でストーブを囲んで四方山話だ。今夜のストーブ番は小学4年生の女の子だ。火吹き竹を一生懸命吹いてくれる。

 今日もお天気がよい。小屋を出て塔の岳に向かった。富士山がすっきりとした姿で迎えてくれた。すぐに「不動の清水」に向かった。顔を洗って嗽をしてさっぱりした。しばらくすると中学生が水を汲みに来た。やがて高校生だというお兄さんがやってきた。中学生や高校生が山が好きなって暮れることはとても嬉しい。昨年、大倉尾根で「移動と空間の世界史」(12回)を聴いたが高校生であれば世界史の履修前にこういう講演を大倉尾根で一度聴いてもらいたいものだと思う。山頂に戻って尊仏山荘で一休みをした。この後、表尾根を下り政次郎尾根経由で戸沢に着いた。登山道のとりつき口で冷たい沢の流れに素足を付けて、ガス欠にならないように食事をした。オイルも点検した。ここからはまた「交響曲の楽しみ」だ。2回分聴いたが演奏家ならではの解説でとにかく面白かった。まだまだ丹沢通いは続けなければならないようだ。


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