第370回山行報告 塔の岳(’09/1/24〜25)
 この時期雨が降るたびに丹沢は雪かなと想像する。東京と丹沢では10度前後、気温差があるので、東京が10度以下で雨が降るととなると丹沢は雪となるという訳だ。土日は晴れのち曇りの予報で出かけることにした。

 どんぐりハウスで味噌汁を頼んでおにぎり1個をたべる。朝食にリンゴとクラッカーとヨーグルトを食べて出てきたが、大倉まで電車とバスを乗り継いで来ると2時間かかるのでなんだかちょっとお腹がすいた感じがする。そんなことで最近はここでおにぎりを食べてから歩きだすことにしている。同じバスで着いた人たちが皆さん出発されて誰もいなくなった。あわてることはない。9時56分田沼時代第9回のスタートボタンを押して歩き出した。

 観音茶屋の少し手前で第9回が終わり、引き続いて第10回に入る。見晴小屋の前のベンチでちょっと腰をおろし水を飲んですぐに歩き出した。汗をかいているせいか寒くてすぐに歩いたほうがよさそうだ。木道の少し手前で第10回が終わった。第11回だ。この調子では一本松のベンチも通過だ。ひたすら下を見て歩く。第12回だ。堀山の家だ。大休止だ。アセロラドリンクを2缶買い、小屋の中のストーブの前でクラッカーと300円分おでんを食べた。外では雪が舞いだした。ザックカバーをかけて、傘をいつでも広げられるように用意をした。雨具も持ってはいるが出来るだけこれは着ないことにしている。ゴアテックスとはいってもどうしても蒸れるので風がないかぎり傘を利用することにしている。

 ここから小草平は最終回の第13回だ。この田沼時代はなかなか面白かった。歴史の発展にどんな法則があるのかわからないが、田沼意次から松平定信へと舞台が回ったわけで、ヘーゲルのいう弁証法的な歴史の展開がとにかく面白かった。小草平のベンチでちょっと休憩した。寒くて長居は無用だ。次に何を聴くか迷った。画面が暗くてよく見えないが、以前に聴いたことがある「皇帝たちの中国史」だ。とにかくこの大倉尾根の堀山の家から花立山荘の間が最大の難所で何か気を紛らわせるものがなければ登り切れそうもないのだ。とにかくこれも面白い。一人で感心して聴き入って歩いていた。気が付くと花立山荘だ。雪がない。ちょっと意外な感じがした。小屋に入ってコーヒーを頼んだ。客は誰もいない。いつもはトン汁を頼んでおにぎりを食べていたのだが、堀山の家で空腹を満たしたのでコーヒーにしたのだ。今日は早々に小屋を出て歩きだした。雪がうっすらと登山道を覆っている。第2回が終わった。続いて第3回だ。山頂に出た。雪が舞、風が冷たい。早々と表尾根を下り木の又小屋に向かった。耳は毛の耳当てをしているので温かいが頬が冷たくて閉口した。ひたすら下を見て歩いていて木の又小屋を通り過ぎてあわてて引き返した。

 朝7時過ぎに目が覚めた。今日は快晴だ。朝食を食べてストーブで温まっていた。8時40分ヘリの爆音がする。塔の岳の上でホバリングしている。病人が出たようだ。この後、塔の岳に向けて小屋を出た。木道の上にうっすらと雪があるが春の淡雪のような感じだ。今日も冠雪の富士が見える。相模湾がキラキラ光っている。
尊仏山荘で一休みだ。ヘリの飛来は何事ならんと大野さんに尋ねれば、病人は高年者で土曜日に怪我をして自力で降りられないとのことでヘリを頼んだとのことだ。下山は久しぶりに鍋割山稜経由にすることにした。人気のない静かな山稜を明るい陽ざしを浴びて気持ち良く歩いた。冠雪の富士をカラマツの枝越に撮ったが、富士山ばかりだと食傷気味だ。もう一か所あそこの雪の原に登山者の後姿でも入れば写真になるのだがと、ひとしきり立ち止まって待っていた。とりわけ赤いザックかヤッケの登山者が入ればと思った。登りにかかる登山道を下から撮っても平凡な構図だが登山者が入り、おまけに赤とかの目立つザックかヤッケの後姿だと写真になる様な気がするのだ。二俣からは同年輩と思しき方と四方山話をしながら歩いたので退屈をしなかった。2時30分大倉に帰り着いた。

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