第368回 丹沢山(’08/12/29〜30)
  12月は何かと気ぜわしくて山に行けなった。27日仕事納めでひと段落したので登ることに決めた。

 大倉から10時2分歩き出した。今日は「芭蕉ー求めない心」(講師石 寒太)の第7回から聴きだした。見晴小屋、一本松のベンチ、駒止小屋、堀山の家、小草平のベンチ、花立山荘と充分に休憩をしながら登った。今夜は尊仏山荘泊まりだ。早く着いたところでどうなるものでもない。ひたすら下を見て講義に聴き入る。今日は人も少ない。堀山の家も入り口の戸を直すために登ったという人だけで静かなものだ。がっかりしたのは花立山荘が閉まっていたことだ。ここでトン汁を頼んで食事と考えていたので当てが外れてしまった。誰もいない小屋の前のベンチで腹ごしらえをした。
 ここからは聴き終えた芭蕉のことをあれこれと考えた。俳句にはとんと縁もないし、中学生の頃、国語の時間に作った俳句?は考えれば季語のない、とても俳句とは名ばかりの代物だ。そんな私でもこの13回の講演を聴いてとても面白かった。「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一つ」と芭蕉はいう。私にはさっぱり見えない話だがとにかく面白かった。14時41分に山頂に着いた。ほぼ4時間半だ。1時間30分だ、2時間だと登ってくる人たちから見ればお笑い草だろうが、登り切れたのだからいいではないかと一人言い聞かせた。
 尊仏山荘泊まりだ。小屋の壁に「空」と墨書された板木を見た。大野さんの話では横須賀のほうのお坊さんで丹沢500回満願の記念とのことだ。このお坊さんには10月13日二の塔の下りで追い越され、声を掛けたら大山に向かうとのことだった。丹沢山の道で何度かお会いしているが、あの日が500回満願の日だったのだ。

 翌朝、朝焼けの富士山が見える。少しもやっていて写真はなかなか難しそうだ。今日は丹沢山往復だ。サブザックで歩き出したが稜線の至る所から冠雪の富士山が見える。人は少ない。登山道は凍っていて歩きやす。用心のため滑り止めのチエーンを持ってきたが使うことはなかった。みやま山荘で休憩だ。帰り道でもあちらこちらで写真を撮った。塔の岳に戻った。休憩の前に「不動の清水」に向かい顔を洗い、お土産用の水をペットボトルに詰めた。尊仏山荘で休憩だ。
 下山は大倉尾根を下る。堀山の家で休憩だ。ここからは「奥の細道」(朗読松平定知)だ。朗読もなかなかいいもので新潮社からカッセトテープで出ていたものをmp3に変換して聴いたが、最近、雑誌「サライ」の付録としてCDが出たのでこれをZENに入れてきた。何度も聴いていると解った様な気になるのだから不思議なものだ。2時11分大倉に帰り着いた。




戻る