第366回 三の塔(’08/10/18〜19)
先週、先々週と歩いた大倉尾根も今回は趣向を変えて表尾根だ。ただ塔の岳や木の又小屋までは無理だ。適当なところでのんびりとしたい。そうなると烏尾山荘泊まりだ。今回出かけると3週連続の山歩きで遊びすぎかなと気に懸かるが、歩くと調子がいいので出かけることにした。
 秦野駅でおりてバス停に行くと長蛇の列だ。8時55分発のヤビツ峠行を待つ人たちだ。私はこのバス便が苦手である。満員のバスで座れればともかく立ったままでカーブの多い山道を走ったのではたまらない。蓑毛からのんびりと歩いたほうがいい。蓑毛行のバスに乗り込むと乗客は10人足らずだ。蓑毛で身支度をする。今回聴くものは「田沼時代」3回分だ。プレイリストに登録してきたが明るくて画面が見えない。帽子で覆ってやっと見つけた。9時26分第1回を聴きながら歩き出した。ひたすら講演を聴きながら下を見て歩くのでアスフアルトの道もさほど気にかからない。春岳沢堰堤に着いた。第1回分がまだ終わらない。陽のあたる堰堤に腰をおろしてゆっくりと休憩だ。第2回目が始まると同時に歩き出した。折り返し折り返し登ってゆく。時々顔をあげ、あたりを見回す。植林の開けたところか明るい陽に輝く街が望見出来る。また歩き出す。2回目が終わったが、一寸立ち止まっただけで歩き続ける。ヤビツ峠に着いた。ベンチに座ってのんびり休憩しながら第3回が終わるまで聴いていた。以前よく歩いた駐車場の隅から下って青山荘の横に出る古道を歩いて護摩屋敷橋の水場へのコースを考えたが何となくとなく不安になって車道を歩くことにした。何度となく歩いている道だが一人となると何となく不安になってしまう。ヤビツ峠からは「日本人の精神的世界」の第12回(武士道)だ。山本周五郎の「日本婦道記」、新渡戸稲造の「武士道」に言及され、なかなか面白い。これなら車道歩きも苦にならない。やがて護摩屋敷橋の水場だ。車で来てポリタンクに水を汲む人で大変なにぎわいだ。登山者優先で割り込んで水3リットルを汲ませてもらった。烏尾山荘は素泊まりでお願いしてあるので水を余分に持ってお土産代りだ。今度は第13回(二宮尊徳)だ。農政官僚としての柳田国男に言及されたところでは近藤康男先生のいう農業政策における土着派と開明派の事が頭に浮かんだ。北京大学の中国人教授の提唱による二宮尊徳の学会があることを知った。東洋的というか日本的というか、そういう世界観で二宮尊徳が一般的に理解されていると思うし、山折先生も取り上げたのだと思う。ただ、二宮尊徳をアングロ・サクソン的な世界観ではどんな風に位置づけられるのであろうかと興味がある。二の塔コースの第2段目からは「松尾芭蕉」(3回分)だ。先週、この二の塔からのガレ場のくだりを墨染の衣をまとった編み笠の僧侶に追い越されるとき、「お坊さんは何時も丹沢山でお会いしますね」と一寸声をかけた。大山まで行くとのことですごい速さで下っていった。山を駆け抜けて一心に何かを求めておられる。現在、放送中のこの「松尾芭蕉」全13回分が終わったら雑誌「サライ」の付録についていたCD「奥の細道」(朗読松平定知アナウンサー)をもう一度山道で聴くつもりだ。三の塔の端に立つお地蔵さんを写真に撮った。くだりでは音を止めた。気を取られて足でも滑らせたらおおごとだ。無音となると私はどうしてこう次から次にとなんにでも興味を持つのだろうかと思った。何か一つのことに集中していればと思うが、すべてに「中途半端」ではと何とも言いようもない気分で歩いていた。もう人生も最終コーナーだし、今更どうなるという話でもあるまいと開き直っている。
 今夜は烏尾山荘泊まりだ。山中でのんびりと時間を潰すのも悪くはない。(今回はこんなところで書き終えることにしました。) 



戻る