第357回山行報告 塔の岳(07/5/3〜4)
 9時36分に林望「古典文学を読む日本の心」(全12回分)を聴きながら歩き出す。2ヶ月も間が開くとどうなるだろうか。孫も母親が連休で任地から戻ってきていて母親べったりだし、家内にも体重増を指摘されて意を決して出かけて来た。
 この講演は1回分が40分なのでこれを目安に休めばいい。ひたすら下を見て歩くだけだ。林さんの言うとおり、高校生のころ国語の授業など格別記憶に残っていることはない。今でも覚えていることは現代文の細窪先生が若山牧水を評して40面をして感傷的な歌を云々と言い、現代短歌は石川啄木だ、と言及したことを覚えていることくらいで関心のないときはそんなものかもしれない。大倉尾根で聴くのでなければとても家で落ち着いて聴くことなどなさそうだ。平家物語の「忠度都落ち」を聴くがとにかく面白い。雑事場の平に出た。今日はここのベンチでイヤホ−ンを聴きながら目を瞑って一休みだ。何人かが通過した後歩き出した。一切上を見ない。ひたすら下を見てイヤ−ホンに集中する。一本松のベンチに着いた。パラパラと雨が降る。青空が見えているのでたいしたことはなさそうだ。気温も低く歩きやす。寒気が上空に入り込んだのであろうか。ザックカバ−に傘のスタイルで歩き出す。傘も要らないくらいだが、時折、パラパラと傘がなる。ここからも同じスタイルだ。こうでもしない限り歩けそうにもない。堀山の家に着いた。コ−ヒ−を頼んで一休みだ。小屋の前の桃の木が見事な花を咲かせている。写真は明日だと思いながら入り口の処の席でコ-ヒ-を飲んだ。さすが連休だ。人が大勢いる。ひたすら下を見てイヤ−ホンに集中して歩くので長い階段を忘れしまった。気が附くと天神尾根の分岐だ。小草平に出た。ここでひとしきり時間調整だ。1時58分花立山荘に着いた。4時間22分だ。タイムはともかく登りきれただけ有難いと思った。途中、2回位足の筋肉がピリピリしたのには吃驚したが何とか登りきれた。これも講演をひたすら聴いて登ってきたお陰だ。私は中学のとき新平家物語(吉川英治)、源平盛衰記を夢中で読んだが、この講演を聴きながら重盛が父清盛を諌めて「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」とはらはら落涙する話や、木曽義仲、巴御前が上洛して行家に伴われて参内したときの時の衣服にまつわる話等を思い出した。活字ではもう読む気がしない。CDで12枚組で出版されているのは知っているが、ここまでは手が出ない。CD2枚組くらいで幾つかの名場面を聴きたいものだ。2時18分に小屋を出た。ここまでくればもう大丈夫だ。今度はサイモンとガ−フクルを聞きながら歩き出した。足取りも軽いしうきうきするよう気分だから不思議だ。2時51分山頂に出た。尊仏山荘には入らず表尾根をくだり木の又小屋に向かった。中森さんの腰痛もすっかり良くなったようで安心した。9時近くまで同宿の方と話し込んで9時にあわてて布団にもぐりこんだ。

 翌朝、5時前には目を覚ました。同宿の皆さん、早く床に入るものだから朝の早いこと早いこと。6時を少し廻ったころは朝食だ。私も7時過ぎには小屋を出て山頂に出た。山頂で時々尊仏山荘の手伝いをしている若林さんに会う。挨拶をした後、「不動の清水」にくだった。顔を洗い、嗽をしてさっぱりした。陽のあたるベンチでひとしきりうとうとしていたら人が下ってきたので戻ることにした。木々の芽吹きはまだのようだが斜面のあちらこちらにバイケイソウを見る。尊仏山荘でコ-ヒ-を飲んで一休みだ。2ヶ月のご無沙汰だが格別の変わりがないようだなと小屋の中を見渡していたらカウンタ−のところに有った公衆電話がないのに気が附いた。携帯を大半の人が持つようになると利用する人が少なくなるということか。どこに行くという当てもない。大倉尾根をくだって帰ろうと9時23分小屋を後にした。くだり第8回からだ。「源氏物語」だ。高校の古文の時間に読んだような気がするだけで何も覚えていない。花立山荘を通過した。花立山荘の下の階段の下部で第8回が終わった。ここから少し下に小さな桜の木があり、花を咲かせている。この木は人の手で植えられたもののようだ。山では一ヶ月以上遅れている。昨年もこの桜を撮っているが、今日もアングルを変えて何枚も撮った。この階段をくだりきったところから第9回を聴きだした。小草平のベンチでは時間調整でのんびりと休んだ。このくだりで残り5回分を聴き終わろうというわけだから時間調整が大変だ。とにかく急ぐ旅ではない。堀山の家の前の桃の花を何枚も写真に撮った。一本松のベンチで休んでここでも時間調整だ。雑事場の平でもひとしきりまた時間調整だ。ここから最後の12回だ。蕪村の句を読んではその解説だ。蕪村の句がこういうものだかと初めて知った。1時13分大倉に帰り着いた。
 
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