第354回山行報告 塔の岳(06/11/25〜26)
10時6分に大倉から歩き出した。今朝6時30分頃東横線多摩川駅で人身事故があり、東横線の電車が停まっていたので遅くなったが、今日は泊まりだし、多少、出発が遅くなっても心配あるまい。それにしても1ヶ月以上も山行の間が空くとどうだろうか、こっちのほうが心配だ。。とにかく今日も「ながら族」で、雑事場、一本松、堀山の家、小草平、花立山荘で休み、きっちりと歩けば大丈夫だろう。Ipodに入れてある「近代日本外交の歩み」(全25回7回分収録済)を聴く楽しみがある。
 池井先生の講演は幕末のペリ−の来航から始まる。日本の近代史の大筋のところは知っているが、面白くて、景色もろくすっぽ見ず、ひたすら下を見て講演を聴きながら登ってきた。花立山荘の下の階段状の最後の登りで6回分が終わった。講演が面白くて堀山の家にも入らず登ってきたのだが、6回分となると3時間だ。1ヶ月の空白を感じさせないではないか、と我ながら一寸驚いた。1時11分花立山荘に着いた。3時間5分だ。不意に声を掛けられた。Fさんだ。すぐに山荘に入ってトン汁を頼んで外に出て話していると用意が出来たとの声がかかり、今度は小屋の中に一緒に戻って話だ。戸沢に車を置いて書策新道から塔の岳と廻ってきたそうで中森さんは居ましたというので安心した。花立山荘から7回目を聴いた。外交は内政というそうだが、陸奥宗光、小村寿太郎と明治期の外交の責任者達は大変な苦労をしたのだ。2時9分に山頂に出た。富士山はもうすっかり薄いシルエットになっている。時間だし、尊仏山荘には入らず、早々に表尾根をくだり木の又小屋に向かった。夜はランプの下でスト-ブを前に中森さんと四方山話だ。この小屋で何度か同宿をしたことのあるKさんがなくなったという話には吃驚した。中森さんは奥さんからの喪中を知らせる葉書で知ったそうだ。私もいつまで歩けるか分らないが、一日一日を大事にしなければと思った。外に出てみると一面ガスに覆われて天気は下り坂のようだ。
 翌朝は7時過ぎに起きたが、何処に行くという当ても無い。のんびりと朝食を食べたあと塔の岳にむかった。尊仏山荘でコ-ヒ-を飲んで花立さんと四方山話だ。Kさんがいる。今年の2月3月の繁忙期に事務所のクライアントのEさんの大学生の息子さんにアルバイトを頼み、彼にもう一人学生のアルバイトを連れてくるように頼んだら連れてきたのが、この人の息子さんだ。来て2,3日してから彼から父が私のことを知っているといっていましたといわれたときは驚いた。本当に世の中は広いようで狭いというはこういうことをさすのだろう。雨が降っているわけではないが、霧雨のような空模様だ。こうなると大倉尾根をくだって帰るのが一番のようだ。ipodで「家事と物の文化」(全10回分収録済)を聴きながらのんびりとくだった。大倉には1時ちょっとに着いた。相模大野、中央林間経由で帰宅の途についた。車中でもずっと聴いていたが、途中で居眠りをしたようで気がつくと溝口だ。残りは通勤の電車の中で聴くことにした。
 

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