第353回山行報告 塔の岳(06/10/8〜9)
 9時57分に大倉から歩き出した。昨夜は遅くまでNHKのテレビドラマを見ていたので就寝が遅くなった。9月は一度も登っていない。ひと月も山行きの間が開くとどうなるだろう。とにかく今日は泊りだし眠くなれば適当に休憩のベンチで眠ればいい。
 今日も何時もの「ながら族」だ。NHKの朗読の時間に放送された芥川龍之介短編集全20回分をIpodにいれてある。第1回と第2回に収録されている「キセル」を先日聴いたが、さすが芥川龍之介だと思った。これぞまさに文学というものだと感心して、職場で同僚に聴かせた。今日は改めてもう一度これを聴き、残る18回分を聴こうという訳だ。雑事場、一本松、、堀山の家、小草平とゆっくりと登ってきた。休憩地点では10分、20分としっかり休んだ。特に一本松のベンチでは30分近く寝た。これで少し眠気が取れた。花立山荘に1時52分に着いた。ここで食事をしだ。2時17分に歩き出したが、この後は調子を取り戻したようで順調に歩いた。全部聴き終った訳ではないが、この短編集の中では「キセル」、「藪の中」、「神々の微笑」がとても面白かった。「神々の微笑」は遠藤周作の「沈黙」と同じようなモチ−フを扱っていて驚いた。衆目の見るところ日本人の精神的風土の根底にあるものは変わらないようだ。とにかくこの大倉尾根を毎度登るとなると、こういう気を紛らわせることがなければ登り切れない。初めての山などに登るときはこの種のものを聴く気にもならない。気合も入ってどんどん登ってしまう。それなら大倉尾根など登らなければといわれそうだが、億劫さもあり、手軽さもあってこの取り付きの簡単な大倉尾根となる。そんな大倉尾根でも花立山荘まで登ってしまうと気持ちが一変してしまうのだ。公園の中を何時間歩いてもこういう充実感は得られないから不思議だ。何時も花立山荘を過ぎる辺りからやっぱり今日登ってきてよかったと独り言をして苦笑してしまう。2時47分に山頂に出た。尊仏山荘には入らずに早々に表尾根をくだり木の又小屋に向かった。顔見知りのTさん,Sさんがいる。例によって例の如く夜はランプの下でスト-ブを囲んで皆さんと他愛のない語らいだ。
 翌朝目が覚めると朝日が差し込んでいる。今日も快晴だ。どこに行くという当てもない。食事が終わってコ-ヒ-を飲んでとにかく塔の岳に向かった。あちらこちら花を探したが写真になるようなものが見当たらない。山頂に出た。薄い大きなシルエットの富士山が見えるが、私の腕では写真に撮るのが難しそうだ。直ぐに不動の清水に向かった。冷たい水で顔を洗って喉を潤した。程なく同宿の二人がくだってきた。ユ-シンにくだり大石山に登るという。この方面はこのところすっかりご無沙汰している。歩き始めは昭文社版「丹沢」図に赤線を塗るのに夢中だったが、おおむね塗り終わったら、空気の抜けた風船見たいになった。家内にもう一度新しい地図に赤線を塗ったらとからかわれる始末だ。その代わり最近では写真に手を出して遊ぶ種を見つけた。山頂に戻って尊仏山荘で一休みだ。丹沢山に向かったのであろうか、客は少なく閑散としている。花立さん、若林さんとひとしきり話した後、山荘を出た。表尾根をくだり書策新道経由で帰ろうと決めた。塔の岳をくだた、やせ尾根で足元の白い花が目に留まった。登りでは気がつかなかった。書策新道ではなにか写真の材料がないかと探したが見当たらない。このセドノ沢も様子が随分変わっている。大雨の後では相当に水が出って岩が移動するのであろう。戸沢の休憩舎で食事をした。ここからの林道歩きは趣向を変えて文学探訪太宰治の第4回を聴きながら歩き出したが、ぜんぜん興が乗らない。やがて第4回が終わって、第5回に入ったが、第5回も少しも面白くない。ふっと自動車が止まって、乗りませんかと声を掛けられた。これ幸いと風の大橋まで乗せていただいた。名前も知らないこの方にHPから御礼申し上げます。
 今回は写真も格別の収穫はない。痩せ尾根で撮った花の写真を家でハンデ−図鑑「丹沢に咲く花」で調べたが、ハコネギクとシロヨメナが該当するようだが、しかとはわからない。自信がないがハコネギクということにしました。

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