第343回山行報告 丹沢主脈縦走(’06/1/28〜29)丹沢冬景色U
 今週も忙しかった。月末期限の仕事があり、2月13日から3月15日までは山歩きはお休みだ。そんなことで天気がいい週末は歩けるうちは歩いておこうというわけだ。
 9時24分大倉から歩き出した。丘山 新「菩薩の願い」の7回から12回までの6回分をまとめて聴いて登ろうという、いつもの「ながら族」だ。雑事場の平、一本松と何時もと変わらないペ−スで登ってきたが、堀山の家でコ−ヒ−を飲んで一休みだ。12時52分花立山荘に到着した。トン汁を頼んだつもりが、出てきたのはお汁粉だ。一瞬怪訝な気がしたが、注文が間違えたかと思った。お汁粉もこの小屋の名物で、一度は食べて見たいと思っていたので黙って食べることにした。お餅も小さいながら2個、小豆もそれなりの分量でまずまずだ。客が入ってきたのを潮に1時20分出発だ。ここからはジョンデンバ−を聴きながら歩き出した。1時57分塔の岳山頂だ。丁度表尾根から登ってきた人を見たので、木の又小屋が開いていたかどうかを尋ねると閉まっていたと言う。もう一度確かめようと肩のところで待っていたが後続の人影が見当たらない。仕方がない。今夜は丹沢山のみやま山荘泊まりだ。この時間なら3時半前後には小屋に着けるだろう。塔の岳北斜面からは雪山モ−ドだ。歩いている人が意外と少ない。途中、中年男性一人を追い越した。声を掛けるとみやま山荘泊まりという。今度は竜が馬場を通過したあたりでみやま山荘のボッカの若い人に出会う。小屋の宿泊の様子を聞くと予約は6人のパ−ティ−だけですと言う。3時15分にみやま山荘に着いた。先着の横浜から来たというTさんと、先程追い越した静岡から来たとういう方と三人で山の話だ。やがて6人組が到着して賑やかとなる。この外単独組の二人がいるので、今夜の宿泊客は11名だ。ザックに入れてきた上等な酒を開けて夕食前から飲み始めた。お二人は50歳代で三人で山の話で盛り上がる。先輩、先輩などと持ち上げられると、ついつい調子に乗って赤線で真っ赤な丹沢図をご披露するなどいい気なものだ。

 翌朝、6時に食事をして6時45分には早々と小屋を出た。丹沢山からくだりは日陰のせいか一寸期待はずれの感がなきにしもあらずであった。左手に塔の岳がすっきりとした山容を見せる。振り返れば朝焼けか、明るい。まだ時間が早い所為だ思った。不動の峰の下の休憩舎で一休みして写真を撮っていると同宿の人が登ってゆくのが見えた。不動の峰の登りは雪は少し多いかなという程度で明るく、山頂での展望を期待していたのだが、山頂近くとなるとにわかにガスに覆われだす。蛭が岳方面から来た人に会う。一寸前まで富士山が見えましたが見えなくなりましたと言う。ガッカリした。西から東にガスがどんどん流れている。同宿の人が肩の辺りで木の枝に張りついた霧氷を撮っている。残念ですねと声を掛けたがこればかりはどうしようもない。思い直して、戻って山頂のあたりを歩き回って写真を撮った。突然明るくなったと思ったらガスが一瞬切れた。ここぞとばかりに樹幹の間から顔を覗かせた富士山をズ−ムを変えて何枚も撮った。またすぐにガスが覆いだす。西から東にどんどん流れてゆく。同宿の人のあとから少し距離を置いて歩いたが、この人の赤いヤッケが雪に映える。これはいいとこの人の後ろから歩きながら写真に撮る。こういう被写体を入れると写真が良く見えるような気がする。鬼が岩で一息入れているとガスが切れ、名前のいわれの岩の間に富士山が顔を覗かせる。ここぞとばかりに写真を何枚も撮る。蛭が岳も山頂や小屋の辺りが明るく輝いて見える。ここでも直ぐにガスが覆い出す。9時15分蛭が岳山荘に着いた。杉本さんは交代で下山されたとかで不在だ。宿泊者は4人だったそうで、冬のこの時期はどうしても客が少なくなるようだ。蛭が岳の北斜面は日陰となるが、くだり切れば明るい林間の歩きだ。先程までガスに巻かれて歩いていたことがうその様なものだ。姫次でも富士山は見えない。空は青空だが、気温が少し上がってきた所為だ。久しくご無沙汰している八丁坂の頭から東野にくだる。3時20分のバスまでは1時間半近く時間があり、時間をもてあますが鶴屋旅館の食堂でうどんを食べたり、バス停前の日当たりのよいところで皆さんと話をして時間をつぶした。(「丹沢冬景色U」をご覧ください。レンズは28ミリから300ミリのズ−ムレンズを使用)

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