第337回山行報告 塔の岳(’05/10/1〜2)
 8月の下旬から9月は用事が重なり山行はままならなかった。このままでは次回の山行が大変と思い、渋谷から下丸子の自宅まで歩いて帰ることにした。完全に歩ききったのは3回で事務所を出るのが遅くなった時は学芸大学駅まで歩き後は電車を利用したりと、とにかく1時間前後は最低歩いた。
 どんぐりハウスでペットボトル2本を買ったら応対の女性に「久しぶりですよね」、と言われてしまった。大雪山と鳥海山に出掛けただけなのだが、格好をつけて夏はあちらこちらにと遠出で忙しくてね、と応えてしまった。こんなに間があいて登りきれるのだろうかと不安な気持ちでいっぱいだ。
 大倉から9時30分に歩き出した。「上方芸能と文化」を聴き出した。こうでもしながら登らなければ大倉尾根は登りきれそうにもない。観音茶屋の前で1回分(30分)が終わった。これならまずまずかと気をよくした。2回目を聴いていて、ふっと顔を上げると雑事場の平だ。ここでひとしきり仰向けになって目を瞑る。風が冷たくていい気持ちだ。・・・前後に人影が見えなくなるのを確かめて歩き出した。直ぐに見晴茶屋だが、登山道に面していた部分が取り壊されて様変わりなので驚いた。・・・話が面白いので格別の疲れもなく一本松のベンチに着いた。ここでもひとしきり仰向けになって目を瞑る。決まった休憩地点でしっかりと休む。歩く区間は遅くても歩ききる。これが大事だ。そんなことを言い訳にしっかりとベンチで一眠りする。・・・堀山の家だ。ここでコ−ヒ−を頼んで一休みだ。小屋の中もずい分変わった。定年後の暇つぶしとおぼしき何人かの人がこの小屋に屯して大工仕事だ、まき割りだ、と精を出している。
 仕事を辞めて家に毎日居るようになっらどうしたらいいのだろうかと考え込んでしまう。昔は年をとってすることがなくなったら昭和史を、とりわけ戦争を軸に読んでみたいと考えていて、古本屋を歩いてはずい分買い込んだ。服部卓四郎「大東亜戦争全史」などは拾い読み程度で積んであるし、額田坦「陸軍省人事局長の回想」等は手もつけずに本棚に積んだままの本も相当ある。最近、本を整理しようと考えて、その前にこの分野の目録を作っておこうと考えているが、なかなかすすまない。というのも高宮太平「順逆の昭和史」、「昭和の将帥」、今村均「私記-一軍人六十年の哀歓」等手に取ると懐かしくなって少し読み返してみるので、すすまないのだ。今村大将の手記の中で読んだ記憶があるのだがその箇所(ジャワ派遣軍の軍司令官だった今村大将のもとに東京から宇垣大将の特使が派遣されたエピソ−ド)がなかなか見つからない。目も悪くなったし、根気もなくなったと歳を感じるばかりだ。そんなことでipodで気楽に聴けるのがいい。本が売れないそうだが、メデアはCD−ROM、フアイル形式はmp3、値段は1000円以内で文芸ものの視聴覚ソフトが出てきてもよさそうだと思う。カセットテ−プではかなり出ているが、如何にせん値段が高すぎる。
 ここからは永井路子「戦国武将の素顔」を聴く。これはNHK第2で5回までシリ−ズで放送されているが、家で聴いていても気が散ってだめだがこういう山道で聴くのが一番だ。・・・小草平だ。「戦国武将の素顔」の1回分が終わった。ここでも日陰で一休みだ。・・・花立に到着だ。ここで食事だ。花立山荘に入って時計を見ると1時43分だ。4時間13分も掛かった。トン汁を頼んでおにぎりを食べた。・・・花立からも「戦国武将の素顔」の続きを聴く。・・・山頂に着いた。時計を見ると2時45分だ。所要時間は5時間15分だ。ずい分時間が掛かったが、でも登れたと安心した。一定の速さで歩いてきたのだし、雑事場の平、一本松、堀山の家、小草平、花立と充分休憩したのだから時間が掛かるのもやむを得まい。今日は尊仏山荘には立ち寄らないで表尾根をくだり木の又小屋に向かう。中森さん、もうそろそろ来る頃だと待っていましたという。夕方、木の又草原の端に出てTさんやMさん達と黒いシルエットの富士山の右手に陽が沈むのを見た。朝起きると快晴だ。今日はどこに行くという当ても無い。以前ならあっちだ、こっちだ、と早々に小屋を出たのだが、このところそんな気も起きない。とにかく塔の岳に向かう。尊仏山荘に入って雑談だ。顔見知りのT君が小屋番の手伝いでいる。この後、「不動の清水」に行って顔を洗いひとしきり写真を撮った。小屋でイワシャジンが咲いていたという話を聞いたので表尾根を戻り書策新道をくだることにした。残念ながらセドノ沢では鉱山跡まで行ってみたが見つからない。この後、戸沢出会におりた。
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