第336回山行報告 鳥海山山遊(’05/08/6〜8)
鳥海山山行写真集
 私の夏山シ−ズンの第2弾は鳥海山だ。このところ「奥の細道」(新潮カッセトライブラリ―)をmp3に変換して何度も聴いていたので象潟を観光して鳥海山に登ることを決めた。
第1日目
 東京から新幹線を利用して新潟に出て象潟に11時38分に着いた。駅前に宿を取ったので午後は芭蕉ゆかりの旧跡をあちらこちらと見て回った。太平洋側の松島と並び称された象潟の地を芭蕉が訪れたのは元禄2年(1689年8月)だ。その後、文化元年(1804年)に大地震があり海底が隆起し風景は一変してしまった。そんなことで旧跡といっても格別のことは無いというのが正直な感想だ。ただ、ここを見て回るのは、朗読を何度も聴いて原文を注釈付で読んだ思い入れの所為かもしれない。読者の皆さんもこの漢文訓読調の名文を声を出して読んでみてください。

「 江山水陸の風光数を盡して、今象潟に方寸を責。酒田の湊より東北の方、山を越磯を傳ひ、いさごをふみて、其際十里、日影やゝかたぶく比、汐風眞砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる。闇中に 莫作して雨も又奇也とせば、雨後の晴色又頼母敷と、蜑の苫屋に膝をいれて、雨の晴を待。其朝天能霽て、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先能因嶋に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし櫻の老木、西行法師の記念をのこす。江上に御陵あり、神功后宮の御墓と云。寺を干満珠寺と云。此處に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に盡て、南に鳥海天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。西ハむやむや の關路をかぎり、東に堤を築て、秋田にかよふ道遥に、海北にかまえて、浪打入るところを汐ごしと云。江の縦横一里ばかり、俤松嶋にかよひて又異なり。松嶋ハ笑ふが如く、象潟ハうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。」
        「象潟や雨に西施がねぶの花」  「 汐越や鶴はぎぬれて海涼し」
第2日目
 象潟駅前5時50分発のバスで鉾立に向かった。バスは早朝の街中を抜けて鳥海スカイラインを走るが天候ははっきりしない。鉾立に到着したが、ガスが流れて視界が利かなくなる。展望台でおにぎりを食べて6時50分登山口から歩き出した。登山道はよく整備されていて歩きやすい。ただ私は二日間の睡眠不足がたたって調子が出ない。ザックの重さでとうとう悲鳴が出た。予定より1時間以上遅れて御浜小屋に着いた。頂上小屋は予約が無ければ泊まれないという。おまけにもう満員だという。すっかり登る気力が無くなった。この小屋に一泊して明日サブザックで山頂を往復だ。今日は写真を撮って遊べばいいと、すっかりその気だ。ザックを預けてサブザックでのんびりと歩き出した。七五三掛までは登山道は歩きやすく危険なところも無い。山肌も草原状で穏やかな表情を見せる。花が多い。七五三掛から外輪コ−スと千鉈谷コ−スに分かれるが、千鉈谷コ−スを取り雪渓を渡った地点で冷たい風に吹かれてのんびりと昼食を食べた。くだってきた人に山頂までの所要時間を尋ねると往復で2時間位だという。明日もう一度登ればと、ここから引き返しことにした。帰りは花の写真を撮って戻ったが、次第にガスってきた。小屋に戻ってしばらくすると大粒の雨が降り出した。1時間ほどで上がったがこの後は陽が出て小屋の前に見る稲倉岳が明るく見えるし、日本海が光っている。同宿の人達の話では鳥海山の山小屋は山小屋といっても神社の参篭所で定員厳守だという。この小屋に泊まって明日山頂をサブザックで往復するのが正解かと思った。
第3日目
 小屋がざわざわしだした。4時30分起きて小用で小屋を出るとガスが深くて何にも見えない。しばらくすると雨が降り出した。同宿の人達の間にため息が洩れる。雷鳴さえ聞こえる。こんなことなら昨日登って置くのであったと後悔したが、後の祭りだ。山頂にまではいけなかったが、こんな天気では登っても楽しめまいと往生際が大事と下山することにした。6時少し前に雨が止んだ。ガスがどんどん流れてゆく。この間だと決心し下山開始だ。7時47分鉾立に着いた。何とか雨にあわずにすんだが、しばらくすると大粒の雨がまた降り出した。ビジタ−センタ−の入口前でザックの整理をしたが、バスの時間までどう時間を過ごすかだ。雨は激しく降ったり止んだりだ。開館は9時30分だが職員の女性が気を利かせて入館をさせてくれた。何人かのおりてきた人達と一緒に鳥海山のジオラマを見たり花の写真を見たりで何とか時間を過ごせて9時50分発のバスで酒田に出た。雨がひどくてバスの前方が見えないくらいだ。酒田でひと浴びして高速バスで山形に出て新幹線で帰京した。
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