第320回山行報告 蛭が岳(市原新道から白馬尾根を周る)(’04/5/1)
 橋本からタクシーを利用して丹沢観光センタ−キャンプ場に向かった。受付事務所でテントの申込みを済ませ、ザック(テント)を預けて、3時までに戻る旨を伝えサブザックで9時に出発した。この近辺の地理は2年前に第1回テント泊(5/3〜4)、第2回早戸大滝経由丹沢山(木の又小屋泊)(5/25〜26)と何度か歩いているので問題はない。
魚止橋の少し手前にゲ−トが出来ている。前回はこの少し先までタクシ−で入れたのだ。前後に人影はない。雷平で滝から戻ってきた二人に会っただけだ。雷滝には10時20分に着いた。滝の下まで入れるので見上げるとなかなか圧巻だ。写真を撮って一休みの後、市原新道に取り付いた。11時40分前回引き返した地点に着いた。ここから緩やかな斜面でブナの大木が幾本もあるし本当にいい雰囲気だ。踏み跡もあるし格別な急な登りもない。やがて一面草原状の斜面に出た。この辺りから踏み跡がはっきりしないが直登すると山荘が見える。鹿柵の脇を抜けると蛭が岳山荘の横の小広場に出た。パレットの上で管理人の杉本さんが鼾をかいて寝ている。時刻は12時45分だ。成る程これが蛭ガ岳に登る最短コ−スか。タクシ−を利用すればこの市原新道はいろいろと楽しめそうだ。ベンチで休憩していると杉本さん目を覚まされる。ご挨拶をした。鬼が岩北東尾根(ハクバ尾根)のほうがここよりももっと判りやすいという。こうなると鬼が岩北東尾根(ハクバ尾根)を周って下山だ。
鬼が岩から少し登ると左手に踏み跡が見える。鹿柵の左手にある踏み跡は明瞭だ。途中、満開の山桜を見る。この道といい、市原新道といい、想像以上に利用されているようで驚いた。魚止橋の手前のゲ−トまでの足の便さえ確保できれば日帰りで丹沢の最深部を楽しめるというわけだ。植林地の中をくだる。やがて鹿柵の扉を開けて出ると本谷沢と原小屋沢の出会いの雷平だ。
 ここからの道は何度も何度も歩いているので小走りだ。3時40分を回っている。造林小屋の少し手前で登山道から、あっと言う間もなく右足を踏み外した。勢いがある所為か垂直に落下した。高さは2m以上はあろうか。落ちた場所は棚のようなところだ。登山道は見上げるような所にある。少し歩くと登山道から右手の下を流れる早戸川に釣り人がおりて行くかすかな踏み跡がある。ここから登山道に戻った。ひとしきり座り込んで目を瞑って動悸を抑える。あのままさらに下に落ちれば間違いなく死んでいただろう。右足が痛い。ただこの痛さから見ると骨折ではないようで捻挫のようだと思った。ストックを付いて造林小屋の脇の近道からくだった。伝道から林道をストックを付いてげんなりした気分でキャンプ場の受付事務所に戻った。公衆電話から家内に明朝息子に車で迎えに来るように連絡をした。足を引きずりながらテントサイトに向かった。わりあてられたサイトは2年前と同じだ。テントを張った。夕食は明日、明後日の昼食用があるので困らない。テントで靴を脱ぐ。かなりの腫れだ。辺りは次第に暗くなる。受付事務所の人が見ていたようで「マムシの焼酎」を持ってきてくれた。右足に塗っては冷やし乾いては塗る。ラジオを聞きながらうとうとしていると9時頃事務所の人に案内されて家内と息子がテントの外から声を掛けるので吃驚した。明朝までテントで寝ていようと思ったがテントサイトのすぐ下まで車を入れていたようで息子がどんどん車に詰め込んでくれた。11時30分近く家に帰り着いた。
翌日、家内と息子と付き添われて近所の病院に行った。当直の医師は整形外科の専門医でないので判らないが剥離骨折の可能性もあるので手術が必要かもしれないという。家ではどうにもならないので取り合えず入院した。腫れがひどく2日から5日までベットでひたすら足を冷やす。6日診療が始まってCTスキャンの結果、骨折はないことが判った。登山靴でしっかりと保護されていたおかげかもしれないとのことだ。ただ相当なダメ−ジのようだ。8日退院した。今回の失敗は典型的な下山中の不注意によるものだ。3時まで戻る予定が4時近くなって気持ちが急いていたのと慣れた道でもあり小走りでスピ−ドがあった所為だ。あそこでさらに川まで落ちれば死んでもおかしくはなかったと思う。よくよく心しなければと肝に銘じた。家内と息子には感謝している。


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