第319回山行報告 塔の岳(’04/4/25
 金曜日は6時から開いた平成16年度の事務所の運営方針を説明する全体会議で遅くなり土曜日は家にいた。こうなると日曜日は日帰りで山行きだ。4時半に起きて家を出た。
 大倉を7時42分に歩き出した。今日はハイデガ−だ。大学1年のとき斎藤信治先生の哲学の講義を聴いた。40年以上も昔のことで断片的なことしか思い出せないが一つだけ鮮明に思い出せることがある。イデアということを話されて「カントはヒュ−ムによって独断のまどろみを破られていわゆるコペルニスク的転回(コパ−ニシュベンドウング)を遂げたのであります。」と、舞台の上の役者のように声を潜めて話された。私は酔ったような心持で聴いていた。そんなことで永くこの一節を覚えているのだ。先生は私が教わった頃はすでにキエルケゴ−ル「死に至る病」、ショウペンハウエル「自殺について」を翻訳されていて、岩波文庫に収録されていた。こういう碩学から教わっても哲学に触れたのはこれっきりで哲学書を読む機会はなかった。正直なところ機会がないというより積極的に読もうという気持ちがなかった。大学の1,2年次はマックス・ウエ−バ−の著作やこれらに関する青山秀夫、出口勇蔵等の著作を読んでドイツ社会とアングロサクソン社会の精神的基盤の相違を学んだ。こういう関心はどんどん拡がった。笠信太郎の「ものの見方考え方」、長谷川如是閑の「日本的性格」を読むにつれてドイツと日本の問題とか、本来の日本がドイツとは全く異質なものであることを知った。ただ戦前、大正から昭和の日本ではドイツの精神的文化的影響の大きさはは大変なものであったと思う。こういうドイツ文化の影響下でドイツの学問、とりわけ哲学はカントトだ、ヘ−ゲルだ、ニ−チエだ、マルクスだ、と日本の知識人や学生に熱病のように受け入れられたのであろう。私ごときが言うもおこがましいがドイツの社会科学は議論のための議論という印象が先立ってどうも近寄りがたかった。マックス・ウエ−バ−が取り組んだのはこういうドイツ社会の精神的基盤ではなかったかと思う。第一次世界大戦後の大恐慌時に社会民主党大会でゲルハルト・コルムがイギリスでケインズが公共投資ということを言っていると財政支出の提案をしたとき金融資本論を書いたヒルファ−デングがマルクスの資本論にはそういう理論はないといって反対をしたそうだ。ゲルハルト・コルムはナチスの台頭とともにアメリカに亡命をした。理論だとか論理の展開の精緻さとかばかりが先立って実証性とか有用性に欠けては何の為の社会科学かと思う。かのゲ−テも絶えずイギリスのことを気にかけていたことをエッカ−マンの「ゲ−テとの対話」で読んだことがある。とにかくこのところ大倉尾根を音楽や朗読を聞きながら登るのが気に入っている。歎異抄など本で読むより朗読を聞くほうがびんびんと心に響く。ただ何度も何度も聞いていると間を空けたくなる。そんな折、渋谷の書店で筒井康隆氏の講演「誰にでもわかるハイデガ−」(新潮社カセットブック)を見た。齋藤先生の哲学の講義を思い出してこれを聞いてみたいと思った。大倉から花立山荘までの間で聞いたが、こんな安直な方法でハイデガ−の「存在と時間」が理解できるなど言うことは到底無理だと思うが、ただ正直なところこういう本を読みたいとはとても思えなかった。加齢現象というやつで知的好奇心の分野がどんどん狭まるのは避けがたいことかもしれない。
 花立山荘だ。食事にはまだ早いのでかき氷を頼んで小休止の後、歩き出した。金冷シから少し歩くと北斜面に雪が見える。金曜日土曜日は寒かったようだ。今日も風は冷たい。やがて山頂だ。時計を見ると11時2分だ。大倉からの所要時間は3時間20分だ。富士山は霞んで見えない。尊仏山荘でコ−ヒ−を飲んで表尾根をくだり木の又小屋に向かった。小屋の前のベンチにFさんKさんがいる。ひとしきり皆さんと話だ。Fさんが小さな犬を連れてきている。おにぎりを食べて昼食だ。斎藤さんの話では土曜日は雪でとても寒かったという。エ−デルワイスの会の皆さんの宿泊がありにぎやかだったそうだ。この後、Fさんと一緒に木の又新道をくだり戸沢におりた。急なところや足場の悪いところにくるとこのワンちゃん立ち止まりFさんに抱きかかえられてくだるのだが一生懸命に歩く様子は後ろから見ていてとても可愛かった。戸沢から秦野まで車に乗せていただいたので早く家に帰り着いた。
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