第314回山行報告 丹沢山(04/1/24〜25)
 先週、ネットで注文した「歎異抄」(新潮社カセットブックA面本文B面解説梅原猛)が木曜日に届いた。早速、デジタルに変換してmp3プレイヤ−に入れた。大倉尾根を登るときに聞こうというわけだ。山歩きの楽しみに音楽を聴く、朗読を聞くという楽しみが加わった。3時間から4時間何にも気を取られることなく一心に聞くとなると大倉尾根だ。
 大倉を9時26分に歩き出した。歩き出すと同時に聞き出す。ひたすら下を見て朗読に耳を傾ける。朗読のスピ−ドが少し早いのが気に懸かるが、活字では何度も読んでいるし、解説本も暁烏敏の歎異抄講話を始め何冊か読んでいる。ただこんなふうに山道を登りながらmp3プレイヤ−で聞くのは初めてだ。新鮮で心にずしりずしりと応える。やがて雑事場の平の手前で終わった。今度は梅原猛先生の解説だ。これが終わるとまたA面の朗読を聞く。こんな繰り返しで花立山荘に着いた。壁の時計を見ると12時18分だ。今日は3時間を切った。いつものようにトン汁を頼んでおにぎりを食べる。45分に小屋を出たが今度はカンタ−タ歎異抄だ。ソプラノとバスで歎異抄のいくつかの章を歌い上げたものだ。恩徳讃が始まるとつられて声を出した。花立からは銀世界だ。山頂では冠雪の富士山が迎えてくれた。一面雪に覆われていて見ぐるしい土留めを隠している。さすが冬のこの時期は午後を回っても富士山は見える。尊仏山荘でコ−ヒ−を飲んで一休みの後、表尾根をくだり木の又小屋に向かった。表尾根も雪にすっかり覆われている。いつものように大倉尾根に比べると少し雪が深そうだ。このくらいの雪が一番だ。これがこの時期の丹沢の一番の魅力だ。やがて木の又小屋だ。Fさんが小屋の前にいる。今日は日帰りだそうだ。スト−ブの前で時間をつぶしていると8名のグル−プがコ−ヒ−を飲みに休憩で入って来た。札掛から長尾尾根経由で登ってきたそうだが雪が膝位まであって大変であったという。今夜の宿泊は顔見知りのNさん、]さんと3人だ。夜はランプの下でスト−ブを囲んで酒を飲みながら四方山話だ。職業も年齢も違う人たちが酒を飲んで話すのだからとにかく面白い。
 翌日は丹沢山往復だ。雪に覆われたこの時期丹沢山まで行かなければ丹沢の楽しみが半減というわけだ。稜線のいたるところから富士山が見えるが、とりわけ深いユ−シンの谷を望む地点では同角の頭から檜洞丸への稜線が連なり、山襞が雪ではっきりとした姿を見せる。この風景は雪のあるこの時期でなければ見ることが出来ないだろう。雪も格別深いわけでもないし冬の丹沢はとにかく楽しめる。丹沢山からの帰り道は「歎異抄」を聞いた。雪道を歩きながら一心に聞き入るので人のくる気配にも気がつかない。人に出会ってびっくりする。「歎異抄」は蓮如上人が部屋住みの頃、書き写され何度も何度も読まれたのだろう。蓮如上人の教学の基礎となったのがこの書ではなかろうか。丹羽文雄の「蓮如」(全8巻)を読んで知ったことだが、上人は40歳を過ぎて本願寺八代の宗主を継職された。この長い雌伏の期間の教学が本願寺を興隆せしめたといっても過言ではないと思う。私は17歳のとき父を亡くした。深川の病院から遺体を引き取り、途中からは雪道を馬そりに乗せ、その後をとぼとぼ歩いて家まで連れ帰った。気負いもあったのであろう。涙も流さなかったが、粗末な火葬場の鉄板の上の白骨を見た時はどっと涙が出で止まらなかった。この後、自宅に戻ってお寺さんの読み上げる白骨の御文章を聞いたが、このことは46年後の今も忘れらない。尊仏山荘でコ−ヒ−を飲んで一休みだ。この後、表尾根をくだり、久しぶりで木の又新道経由で戸沢におりた。又、機会があればこんな時間を持ちたいものだ。



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