第312回山行報告 丹沢山(04/1/3〜4)

あけましておめでとうございます。

’04年の初山登りだ。高校時代のクラスメ−トH君と昨年何回か会う折、山登りの話になり声をかけたら12月はゴルフだ、忘年会だ、と予定が一杯だという。それなら正月に4日遅れの初日の出を見に木の又小屋泊まりで丹沢はどうかというというと3日4日は予定がないので大丈夫だという。私も正月は家にいても食べたり飲んだりでどうも調子がよくないので好都合だ。木の又小屋は缶ビ−ルはあるが酒はない。正月早々酒がないのも色気のない話なので暮れのうちに上等な酒を小屋に荷揚げしておいた。登るル−トをどうするかだ。大倉尾根を登らせてはとても持つまい。そうなると政次郎尾根か書策新道だ。政次郎は比較的短い時間で表尾根の稜線に出れるが面白みはない。書策新道を登れば水場もあるし、セドの沢の遡行という変化の多い道だ。初めての人間を連れて飽きずに登らせるとなると書策新道だ。木の又小屋で顔見知りのNさんが渋沢駅から戸沢出会まで送ってくれるという。戸沢出会まで車ではいれば初心者でも楽々だ。
 小田急線では話しているうち相模大野で乗換えを忘れて藤沢まで行って戻るというハプニングがあったが、渋沢駅には格別の遅れもなく着いた。予定通り駅に迎えに来てくれたNさんに戸沢まで送ってもらった。林道では顔見知りのSさんに会いひとしきり話したが、乗せてあげられなくて申し訳ない。休憩舎で身支度をして戸沢出会から歩き出した。何人かのおりてくる人に会う。30分登っては5分休みを取った。F5では大休止だ。お湯を沸かして紅茶を飲んだ。この道は相模湾が見えるいい道なのだが靄って見えない。次はセドノ沢の水場で休んだ。ここの左岸からは結構な登りだが、後ろから登るH君も格別息が上がっている気配はない。これなら大丈夫だ。暮れに歩いた時に見た雪はすっかり消えている。梯子場を通過して、アセビの群落のある開けた斜面で小休止を取った。ここからひと登りで書策小屋の横に出た。小屋の戸は閉まっていた。渋谷さんは小屋にいる筈なのだがどうされているのだろうか。小屋の前のベンチで今度は味噌汁を沸かして簡単に食べた。この後、新大日茶屋の前で最後の休憩を取って歩き出した。格別の遅れもなく木の又小屋に到着だ。これなら明日の丹沢山往復は大丈夫だ。Nさん、Sさんが先着していた。Sさんは木の又新道を直登したそうだ。常連のFさんがいる。休憩していた客の二人が帰り、しばらくしてNさん、Sさんも帰った。食事まで皆さんでスト−ブを囲んで四方山話だ。今夜の泊まりは4人だ。ランプの下でテ−ブルを囲んで食事だ。荷揚げしておいた酒が出て4人で飲み始めた。話題が多岐にわたって何の話か思い出せないが皆さんで楽しい時間をすごした。
 翌朝は暗いうちから起きだして日の出を待つが、雲が厚くてかかってなかなか顔を見せない。やがて雲の切れ間から私にとっては4日遅れの初日の出だ。雲の下には相模湾が広がっているのだが見えない。食事を済ませて7時30分過ぎには塔の岳に向かって歩き出した。気がつくと若い雌鹿が登山道の脇にいる。やがて山頂だ。残念ながら富士山は見えない。標柱の前で二人並んで記念写真だ。居合わせた親子にシャッタ−を押してもらい、今度こちらの番だ。バックに富士山があればと思うが残念だ。とにかく丹沢山まで往復だ。塔の岳から引き返しては丹沢の良さは分からない。往復2時間だが、H君の様子を見ると大丈夫だろう。丹沢山往復は二人でいろいろな話をしながら歩くので退屈をしない。不動の峰、蛭が岳と連なり稜線のはるか下には熊木沢の広い沢筋が見える。これで富士山さえ見えればと思うがどうにもならない。この後、塔の岳に戻って尊仏山荘でコーヒーを飲んだ。いよいよ大倉尾根だ。この単調な道をひたすら登るのだかかなりの忍耐を強いられる。この大倉尾根を4時間前後で登れればどんな山でも登れるとH君に話した。大倉に帰り着いた。帰りの車中H君が、「一期一会だ。残る人生を日々大事にしたい。」と話していたが同感だ。
 今年も元気で山歩きを続けたいものと思います。相変わりませぬご指導、ご鞭撻の程、お願い申し上げます。
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