310.’03/12/13〜14)木の又小屋のランプ
  9時に大倉から歩き出した。BerlinerPhilharmniker(HerbertVonKarajan)盤のモ-ツアルトのレクイエムがイヤ−ホ−ンから流れ出す。最近、知人のMさんが5月に亡くなっていたことを人伝に聞いた。数年前、入院していた彼を見舞ったときベットに横たわる彼に声を掛けたが無言で涙を浮かべておられた。気の毒でそれ以上言葉も掛けられず暗い気分で病院を後にした。家族の間でいろいろな事があっで施設に移られたとかで、あれが最後の別れとなった。彼とのお付合いのあれこれが次から次にと思い出される。やがて雑事場の平だ。ザックをベンチにおろして一休みしていると曲が終わった。
 ここからは「旅の日のモ−ツアルト」だ。モ-ツアルトのコレクション盤だ。ザックがいつもよりは重いのでスピ−ドは少し遅いが、一本松、堀山の家、小草平といつものペ−スで登ってきた。・・・花立山荘に着いた。壁の時計を見ると12時8分だ。ザックの重さを考えればまあまあの時間だ。いつものようにトン汁を頼んでおにぎりを食べた。・・・山頂で顔見知りのFさんに声を掛けられる。ひとしきり夏山山行の立ち話だ。この後、尊仏山荘に入ってコ-ヒ-を飲んだ。花立山荘のトン汁、尊仏山荘のコーヒー、これが大倉尾根を登る楽しみだ。・・・表尾根は相変わらず泥んこの道だ。やがて木の又小屋だ。小屋の前には顔見知りのT、F、Kさんがいる。間もなくF、Kさんはくだって行く。Wさんが到着した。今夜の宿泊者は6人だ。ランプの下でスト−ブを囲んで皆さんと四方山話だ。
 7時に目を覚まして階下におりるとTさんがスト−ブに火を入れている。今朝の富士は赤富士で見事でしたという。寝坊をして写真を撮りそこねた。8時過ぎに小屋を出て塔の岳に向った。山頂の小屋が青空をバックに朝日に輝いている。登りきれば冠雪の大きな富士が迎えてくれた。今日は鍋割山を廻って帰ろう。金冷シから鍋割山稜への道に入りすっかり葉の落ちた山稜の明るい日差しの中を一人で歩いているとふっとなんともいいしれぬ思いがこみ上げる。いつまでこうして元気で歩けるのかと思う。死ぬことが恐ろしいということでもないし、死にたくないということでもない。死後のことは私の知ることではない。「地獄は一定のすみかぞかし。」(歎異抄)というではないか。真宗の教えでは南無阿弥陀仏と六字の名号を唱えれば仏は必ず救済してくれるという。いってみれば来世のことは引き受けたから安心するがいい。現世の生をしっかりと悔いないように全うせよというのが真宗の教えだと思う。若い時、マックス・ウェ−バ−に傾倒していたときはプロテスタンテイズムの厳しさに惹かれたが、今は親鸞聖人の他力本願に救いを見つけた。それにしても一番大きな問題はやがて来る死までの短いとも、長いともいえぬ時間をどう生きるかということだろう。煩悩深重の身としては蓮如上人のように病を楽しむ、老いを楽しむというわけには行かない。ボケたくない。寝付いて家族に迷惑をかけたくない。死ぬときはぽっくり行きたい。とはいってもこればかりは自らの意志でどうなるというものでもないだろうし、どんなに計っても計れるものではないということだろう。地位もない金もない凡夫としてはただただ途方にくれるばかりだ。どうしたら良いのだろうかと何度考えても堂々巡りで結論は出ない。山道を歩きながら考え倦んで、結局、今の自分に出来ることに取り組んでいくことしかないということだろうと思った。Mさんの死がいろいろなことを教えてくれる。Mさん安らかに眠れ。

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