305.'03/8/22〜24奥秩父従走路
 3日梅雨明け宣言も出ないまま夏山シ−ズンの幕開けとばかりに月山に登った。この後も天候の回復ははかばしくない。今夏一番に予定していた朝日連峰縦走はバスの運行が14日で終わっている。東北の山がだめならかねてからの懸案の奥秩父だ。雲取山から金峰山に連なる稜線を奥秩父主脈といい、この稜線を何泊かして縦走するのが山歩きに慣れた人の目標のようだ。私は94年8月に同僚のM、Y君と増富温泉から入山して富士見小屋に泊まって金峰山、瑞垣山を往復した。97年6月には毛木平から入山して十文字小屋に泊まって石楠花を見て甲武信岳に登り戸渡尾根を経て東沢におりた。98年10月には鴨沢から入山して雲取山の頂上にある避難小屋に泊まった。たまたま隣りあわせで寝たMさんと一緒に縦走路をを歩き出した。飛竜山、笠取山と登って雁峠にある無人の雁峠山荘に泊まり、翌日、雁坂峠から新地平におりた。そんなことで奥秩父主脈従走路のうち金峰山から甲武信岳、甲武信岳から雁坂峠の間が途切れていて赤線病患者の私としては我慢ならない。
 塩山からタクシ-を利用した。前日、大弛小屋に予約の電話を入れると林道の工事で不通箇所があるとかで塩山の駅でタクシ-に乗る時、電話をいただければ頃合を見計らって工事現場の先まで車で迎えに行きますという。2時間近く林道を歩くのもいやなので有難い。
 第1日目は大弛小屋にザックを置いてサブザックで金峰山を4時間半で往復した。金峰山は樹林帯を抜けると、2599メ-トルの高度ながら山頂はアルペンモ−ドに覆われ山頂の西端に起立する五丈岩に圧倒される。こういう自然の不思議さに昔の人は尊崇の念を持つようで鳥居が立てられている。
 第2日目は6時に大弛小屋を出発して国師岳を経て甲武信岳に登った。山頂で時計を見ると12時17分だ。6時間のコ-スだが一人で歩くとなると休憩も含めて6時間17分と早いものだ。山頂で展望を楽しんで時間をつぶしたが、こんなことなら国師岳の山腹にひろがる夢の庭園でもう少し遊び、樹林帯で昼寝でもしてのんびりするのであった思った。前後に人影もなく国師のくだりでここから引き返すという人に会ったきりで緊張をして歩いていたようだ。この後、甲武信小屋の前のベンチで若い人二人と四方山話だ。
 第3日目は6時に甲武信小屋を出発して破風山、雁坂嶺を経て雁坂峠に着いた。この山域は樹林帯はコメツガ、シラビソでその林床は部分的ではあるが緑の絨毯とも言うべきコケに覆われていて私の普段のフィ−ルドである丹沢とはまた趣が違う。とりわけ破風山(西峰)の静かな樹林帯のたたずまいにはひとりでいいな、いいなとつぶやくばかりであった。雁坂峠のベンチで一休みした。正面のはるか先には広瀬湖の水面が光っている。左手の水晶山の斜面から右手の、今、くだってきた雁坂嶺の山腹まで草原が広がる。ここでもいいな、いいなとひとり景色を楽しんだ。ここから川又までは4時間11キロ強の長いくだりが待ち受けてる。10時だ。気合を入れて歩き出した。雁坂小屋で缶ジュ−ス(サイダ−)を飲んでラスクを食べた。小屋番に車で来ているのでなければ左手の昔の山道のほうがいいだろうと教えられた。この雁坂峠から川又の道はかって多くの先人たちが歩いたようだが、今では小屋の右手から豆焼橋にくだる道が利用されているようで車利用となると登山道も様変わりのようだ。飛ばしに飛ばした。風呂に入りたい、考えることはそればかりだ。下山口で時計を見て驚いた。1時30分だ。4時間の行程を休憩を含めて3時間30分でくだった。
 年も年だしこういうつまみ食いのような歩きで地図上の主脈縦走路に赤線を塗って満足している。今回の山行では若い人たちと山小屋や帰りの車中で山の話をしたりで楽しい時間を過ごした。また国師岳の登りでデジカメの電池が不調で気落ちしていたが降りてこられた同宿のKさんに乾電池を頂いて急場をしのいだ。お話をさせていただいた皆さんやKさんにHP上から御礼申し上げます。山もよし、人のふれあいもよし。楽しき哉山歩き。

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