年頭のご挨拶
明けましておめでとうございます。
 山を歩き出してから10年を越えました。夏は遠出をしますが普段は丹沢ばかりです。その丹沢もだいたい全域を歩きました。時々丹沢でもあまり人に知られていない道を歩きますが行くところがなくなると大倉尾根を登って塔の岳です。そんなことから昨年12月に新趣向とばかりに吉田満著「戦艦大和の最期」全四巻(カセットテープ)をデジタル(MP3フアイル) に変換してMP3プレイヤ−で聞きながら登りましたが、全巻を通して聞いたのは初めてです
 「昭和19年末ヨリワレ少尉( 副電測士)トシテ「大和」ニ勤務ス・・・・」から始まり、「徳之島ノ西方20哩ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス、水深430米、今ナオ埋没スル3千の骸、彼ラ終焉ノ胸中果タシテ如何」で終わる文語体で書かれた天一号作戦と称される大和の出撃、戦闘、轟沈、漂流、生還を記録したものです。200機近くの雷爆混合の米軍大編隊の空襲が何波にもわたる戦闘場面の凄惨さには名状すべからざる気分となりました。
 「これは日本の一兵士の手記である。ここに壱抹の誇張もなく、虚偽もなく、策略もない。直ちに万人に通じ、万国に通じる人間の手記である。誰が次の戦争を望むであろうか。誰も望まない。日本人たる我々は特に。我々は戦争の愚かさを知りすぎ、知らされすぎた。故に我々はますます正確なる戦争の記録を欲する。そして、ここに我々は「戦争の真実の記録」を得た。・・・・・吉田満君の「戦艦大和の最期」は「戦いの書」でもなければ、「死の書」でもない。死を通じて生に到った書だ。・・・・・・この慟哭を知れ。この慟哭の彼方には、再び地上の戦争はない。」(林房雄巻末の跋文より)
 たしかに、戦後、「我々は戦争の愚かさを知りすぎ、知らされすぎた。」が、何故、そうした戦争に至ったのか、明治、大正から昭和にかけての日本の政治や経済の歴史については知らな過ぎると思う。これを知り、これに学ぶことがガンル−ム(士官次室)で「死の意義」を求めて最後の最後まで激論をたたかわせていた青年士官の叫びに答える道ではないと思う。
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