年頭のご挨拶
昨年10月関係している会社のご招待をいただき中国寧波市にある同社の合弁会社を訪問いたしました。上海、寧波と中国のほんの一端に触れただけですが発展目覚しい様子を見るにつけても5歳まで過ごした瀋陽(奉天)のことをいろいろと思い出しました。敗戦の翌年7月、母と弟と3人で北海道に引き揚げました。家がレンガ造りで近くに大きな教会が在った位しか記憶がありません。ただ引揚時の奉天駅での光景、乗った列車が無蓋貨車で夏の暑い中、走っては止まり走っては止まったこと、乗船した引揚船の船内の様子、上陸した博多では子犬のように首をつかまれて背中にDDTを振りかけられたことだけは鮮明に覚えています。父がシベリヤから帰還して高校教師となり道内を転々としました。昭和22年から24年まで日本海に面した漁業と炭鉱の町羽幌に住んでいました。夕方、家族で海辺を散策していた時、海上遥かかなたの雲の上に夕日に輝く頂を見せていた利尻山を見たことがあります。その後、昭和24年から昭和28年まで羽幌から稚内に近いオホ−ック海に面した酪農と漁業の町浜頓別に移り住みました。中国瀋陽(奉天)にはなかなか行けませんが、少年期の思い出につながるセンチメンタルジャニ−として今夏は北海道の百名山利尻山に登りたいものと計画しています。とりわけ帰りはこの浜頓別に立ち寄って駅前の旅館(かすかな記憶に間違いがなければ同級生の家)に泊まり小学校時代の友の消息を尋ねてみたいもの考えています。当時この浜頓別では1、2月猛烈な吹雪で送電線が切れて停電となりランプで2、3日過ごしいたことが思い出されます。そんなこともあってランプとスト−ブの木の又小屋が気に入っています。
本年も変わらぬご支援ご交誼をいただけますようHP上からお願い申し上げます。


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