木村靖二著「第一次世界大戦」、杉之尾宣生著「大東亜戦争敗北の本質」を読む
 アマゾンで日本近現代史に関する書籍を探していたが、読みたい書籍がなかなか見つからない。日本近現代史に関する本、いわゆる活字本はこれまでかなり読んだし所有している。整理もせずに本棚に平積みにして積んである。本当はもう一度読み返したい本もあるが、いかにせん「紙の本」はもう無理だ。こんなに眼が悪くなっては活字本を読むのが億劫だ。そんなことで今は専ら大きなフオントで読める電子書籍だ。ただ残念ながら読みたい本が見つからない。今回たまたま木村靖二著「第一次世界大戦」(ちくま新書)が見つかったのですぐにダウンロードして読んだ。

木村靖二著「第一次世界大戦」(ちくま新書)を読む
第一次世界大戦は大変な戦争であったのだ。戦争の形態を一変させたのだ。政治の形態を一変させたのだ。昭和天皇は皇太子の時大正10年にベルダン要塞の戦跡を訪ねられた折、こんな酷い戦争は二度としてはならないと呟かれたそうだが日本の政治家や軍人達は何を学んだのであろうか。戦中戦後と二度にわたって私費留学で訪欧した海軍軍人の水野広徳は帰朝後海軍省に海軍大臣加藤友三郎大将を訪ねた折り、「何か得るものがあったか」という問に、「大いにありました。如何に戦争に勝つかではなく、如何に戦争をしないかであります。」と答えたエピソードを知ったときは驚いた。第一次世界大戦では火事場泥棒のごとき「最小のコストで最大の利益を得た」と評され、中国に「21ヶ条の要求」を突きつけ、ベルサイユ講和会議に報道係主任として随行した松岡洋右をしても「論弁すればする程不利」と言わしめた日本外交の失敗を知らなければならないと思う。

杉之尾宣生著「大東亜戦争敗北の本質」(ちくま新書)を読む
電子書籍で読む日本近現代史に関するものを探していたら本書が見つかったので読んだ。著者は元自衛官だったようで詳しい略歴はわからない。あとがきによれば「本書は一般市民向けの公開講座である首都大学オープンユニバーシディで平成26年度冬期に開講された「戦史に学ぶーー大東亜戦争敗因の総括」全八回の講義をもとにした」とある。

 私がこれまでに読んで得た日本近現代史に関する知識に照らし合わせてもその記述はほぼ首肯し得るものであった。

 戦争が政治や経済の延長にあることはまちがいないと考える。この戦争という国家の一大事にその国の文化を始めとするあらゆるものが凝縮して表現されると思うのだ。あまりにも漠然とした表現しかできないが、非常時にその国の文化や政治や経済や国民性や、そういう諸々の事柄の総体が姿を現すと考える。
 おまけに企業の経営という立場から考えればとても面白い比較が出来るのかもしれない。以前、戸部良一他共著「失敗の本質ーーー日本軍の組織論的研究」を読んだが、国家の問題とはいっても問題の核心を知るにはこういうアプローチが一番なのだろう。ただその適切な対応というか解決にはには国家と企業の相異が歴然としてくる訳だ。政治という手段が大きく介在するのだ。東洋経済でクルーグマンが有能な経営者が優れた政治家になれるとは限らないと書いていたのを読んだがなるほどと思った。結局のところ日本には国政全般にわたってリーダーシップを発揮できる指導者がいなかったということになるのだろうか。

 ところで余談になるが、塩野七生「ローマ人の物語T」のペルシア戦役のくだりに次のような記述があったので引用をさせていただく。私の言いたいことが的確に表現されている。

「戦争は、それがどう遂行され戦後の処理がどのようになされたかを追うことによって、当事者である民族の性格がよくわかるようにできている。・・・・戦争が歴史叙述の、言ってみれば人間叙述の、格好な素材であるからだ。」

 私は大学でマックス・ウエーーバーに関連する著作を読んでから、以来ずっとこの戦争の背後にある日本の文化とか政治とかに関心を持ってきた。後期高齢者の仲間入りを目前に控えてもまだ青年の気分が抜けないのだから我ながら何ともいえない気分となる。私ごときが言うのもおこがましいが、若い世代の人たちがもっともっと歴史を勉強して貰いたいものだと切に願っている。
戻る