吉田満著「戦艦大和の最期」覚書
 吉田満著「戦艦大和の最期」については山行記録('02/12/14〜15)や年頭の挨拶(’03/01/01)に書いた。

 吉田満著「戦艦大和の最期」(初版は昭和27年8月で私の蔵書は同年9月の再版です)は何度も読んだ。NHKの朗読の時間で放送されたのか、これが4巻のカセットテ−プになって出ていて、以前、これを手に入れて何度か聞いている。しかし、収録時間4時間、全巻を通して聞く機会はなかなかない。MP3プレイヤ−を買ったのでコンピュ−タの音楽ソフトを利用してアナログからデジタルに変換した。これならどこででも聞ける。そんなことで丹沢の大倉尾根を登るときは何度か聴いた。そしてそのたび山道で涙を流した。

 「昭和19年末ヨリワレ少尉(副電測士)トシテ大和ニ勤務ス・・・・・・・・」から始まり、「徳之島ノ西方20哩ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス、水深430米、今ナホ埋没スル三千ノ骸、彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」で終わる文語体で書かれた天一号作戦と称される大和の出撃、戦闘、轟沈、漂流、生還を記録したものです。200機近くの雷爆混合の米軍大編隊の空襲が何波にもわたる戦闘場面の凄惨さには名状すべからざる気分となりました。

続いて著者の「あとがき」で、著者は「この作品の初稿は、終戦の直後、ほとんど一日を以って書かれた。執筆の動機は、敗戦という空白によって社会生活の出発点を奪われた私自身の、反省と潜心のために、戦争のもたらしたもっともなまなましい体験をありのままにきざみつけることにあった。」と述べている。

 巻末の跋文に吉川英冶、林房雄、小林秀雄、河上徹太郎、三島由紀夫ら当代の錚々たる小説家や評論家がの跋文が掲載されている。
小林秀雄と林房雄の二編を全文書き写したのでご一読下さい。

 「正直な戦争経験談」(小林秀雄)
 吉田満君の「戦艦大和の最期」を原稿で読んだのは、確か昭和21年の夏頃であったと思う。大変正直な戦争経験談と思って感心した。今度のもはよほど手を加えたものだと聞いたが、吉田満君の人柄から思うに、根本は変わっていないと考える。推薦の言葉を求められたので以前読んだ時の印象を思い浮かべるのだが、やはり、大変正直な戦争経験談であるということで推薦の言葉は足りると思う。それほど正直な戦争経験談なるものが稀なのは残念なことである。僕は、終戦後間もなく、或る座談会で、僕は馬鹿だから反省なんぞしない、利口な奴は勝手にたんと反省すればいいだろう、と放言した。今でも放言をする用意はある。事態は一向に変わらぬからである。反省とか清算とかいう名の下に、自分の過去を他人事の様に語る風潮はいよいよ盛んだからである。そんなおしゃべりは、本当の反省とは関係がない。過去の玩弄である。これは敗戦そのもより悪い。個人の生命が持続している様に、文化という有機体の発展にも不連続というものはない。自分の過去を正直に語る為には、昨日も今日も掛けかえなく自分という一つの命がいきていることに就いての深い内的な感覚を要する。従って、正直な経験談の出来ぬ人には、文化の批評も不可能であろう。
          
 「真実の記録」(林房雄)
「これは日本の一兵士の手記である。ここに壱抹の誇張もなく、虚偽もなく、策略もない。直ちに万人に通じ、万国に通じる人間の手記である。誰が次の戦争を望むであろうか。誰も望まない。日本人たる我々は特に。我々は戦争の愚かさを知りすぎ、知らされすぎた。故に我々はますます正確なる戦争の記録を欲する。そして、ここに我々は「戦争の真実の記録」を得た。
(この記録の中から、軍国主義や超国家主義の匂いを嗅ぎ出し得るものは、職業的密偵のみである。この記録はこの種の邪悪と一切関係のない高い人間精神の産物である。この文章を貫く強烈な韻律を外国語に移すことは至難であろう。)
一つの戦争をまともに生き抜いたもののみが次の戦争を欲しない。然らざる者は「終戦」の翌日から、再び戦争を開始する。吉田満君の「戦艦大和の最期」は「戦いの書」でもなければ、「死の書」でもない。死を通じて生に到った書だ。テルモビレーの戦はギリシャを残さなかった。ギリシャを残したものは、スパルタではなく、アテネである。しかも、テルモピレーはアテネを残した。戦艦大和の戦ひは、スパルタ人のテルモピレーに於ける戦いの如く、むなしきが故に稔り多き自己壊滅であった。この民族の宿命を生き抜いて、生き残った著者は、絶対に神に直参するよりほかに道はない。これが吉田君の現在の戦いであり、これこそ絶対平和への道である。この慟哭を知れ。この慟哭の彼方には、再び地上の戦争はない。アメリカの友よ、この一文を読め。友である。敵ではない。」
 
 たしかに、戦後、「我々は戦争の愚かさを知りすぎ、知らされすぎた。」。そして、今、忘れてしまったごとくである。何故、そうした戦争に至ったのか、明治、大正から昭和にかけての日本の政治や経済の歴史については知らな過ぎると思う。これを知り、これに学ぶことがガンル−ム(士官次室)で「死の意義」を求めて最後の最後まで激論をたたかわせていた青年士官の叫びに答える道ではないと思う。

 朗読(戦艦大和の最期全四巻)
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