半藤一利「戦う 石橋湛山」を読む
 坂野潤治「日本近代史」を読み終えて二三の書き抜きをしていた。(後から気がついたのだが、KINDLEの機能を使えばこれは簡単なのだ。)次に何を読もうかと、Ipadで経済史のキーワードで検索をしていたら洋書ではものすごい数の書籍が出てくるが、和書はほとんど見当たらない。ただ井上準之助の「最近欧米に於ける財政経済事情」が数少ない和書の中にあった。これはおそらく青空文庫からの転載であろう。
 
  昔から石橋湛山の評論は幾つか読んでいる。岩波文庫版の「石橋湛山評論集」、「湛山座談」も書架にある。東洋経済で湛山関連の記事を見かけると、時折、拾い読みをしている。最近も東洋経済に日中問題の特集があったが、ここにも石橋湛山の代表的な評論が掲載されていた。

 この半藤さんの「戦う 石橋湛山」は湛山の筆になる東洋経済新報の社説をほとんど丸ごと引用して、その背景を書いたもので湛山の個人的な評伝ではない。半藤さんの「あとがき」によれば「日本帝国の国際連盟脱退までの日本の言論が大きく転回したときの石橋湛山の戦い」を書いたとある。
 
 私の母が「私の娘時分は満蒙は日本の生命線と教えられていた」と何度か私に話していた。母は大連の北にある営口で生まれ育っているので、私が湛山の評論「大日本主義を捨てよ」に書かれている主旨を話して聞かせたところ、そんな人がいたのだと驚いていた。

 湛山はもとよりこの書の中で少し名前がでている伊藤正徳、清沢洌等の言論人に比べて朝日新聞、毎日新聞のお粗末さというか、定見のなさには驚くばかりだ。大阪毎日新聞の外報部記者であった前芝確三氏が、当時、社内で自嘲気味に「満州事変は毎日主催、陸軍後援」と言っていた、どこかに書いておられたのを読んだ記憶がある。

「戦う 石橋湛山」を読んで改めてこの日本を代表する言論人に敬意を表したいと思った。私ごときが言ううもおこがましいがこういう言論人が居たことは日本の誇りだと思う。

 巻末の石橋湛山年譜によれば「1959(昭34)年8月28日中国国務院総理周恩来より訪中招請状来届。9月7日〜26日、中国を訪問し、毛沢東、周恩来をはじめ同国首脳者と会談。20日石橋=周共同声明を発表し、日中両国の友好親善を約す。」とある。

 このところ日本と中国の関係はぎくしゃくしている。友人や知人と話していて話題が中国に及ぶと、驚くのはその嫌中嫌韓の強さだ。私のように中国で生まれ、5歳までだが育った人間としては何とも寂しい。そんなことでついつい日本の近代史をどのくらい知っているか尋ねてみる。大体の人がほとんど知らない。政治家も多分知らないのであろうと思う。足を踏まれた人間は何時までも忘れないが、踏んだ人間は踏んだことを忘れて仕舞うそうだ。そんなことで過去の歴史を一切傍らに置いて、「未来志向の戦略的互恵関係」を築こうと言っても、そうそう話が簡単に進むはずがないと思う。朝日新聞の記事で読んだアーサー・ストックウィン・オックスフォード大名誉教授のインタビューが日本人に重く問いかけていると考える。

 「今の日本人に必要なのは、もういちど1920年代、30年代、そして戦争の時代へと、日本の政治がどういう軌跡をたどったか学び直すことではないでしょうか。近現代史は微妙な問題だからという理由で、学校でもちゃんと教えていない。その結果、過去に起きたことについて、今の日本人は驚くほど知識がない。これは非常に危険であり、望ましくないことだと思っています」(アーサー・ストックウィン・オックスフォード大名誉教授)
(2014/11/22記)
戻 る