坂野潤治「日本近代史」を読む
 電子書籍は一冊読み終わると次に案内が来る。今回は坂野潤治「日本近代史」だ。中村隆英「昭和経済史」を読みたいのだがまだ電子化はされていないようだ。ダウンロードして読んだが、読み終わってから重い気分でいる。日本は大丈夫なのだろうかと漠然とした不安に襲われている。私のような年寄りが考えても仕方がない話なのだが・・・・・
 本書を読んで二、三のことを抜き書きしてみた。

 あれほど幕末の日本の状勢を的確に見通していた西郷が何故間違えてしまったのか・・・・・、これに対して大久保は岩倉使節団に加わり、イギリスで「殖産興業」の重大さを知ったのだ。

 民主党の某政治家が尊敬する政治家として.「平民宰相原敬」を挙げたそうです。「平民宰相原敬」のことをどれだけ理解しているのであろうか、原敬は「大正デモクラシーに敵対した政治家」である(これは著者が記述している)、とにかく日本の近現代史をほとんど読んでいないということであろう

 「元老重臣中、高橋を(首相に)推薦する者は一人もなし」と二度西園寺が言ったそうです。元老間での高橋の不人気は、おそらく彼の「参謀本部廃止論」に原因していたというのです。原内閣の大蔵大臣時代に「内外国策私見」で参謀本部廃止論を唱え、印刷したが、原や田中義一(陸相)の忠告で配布を取りやめたそうです。
「1935年の日本の政治は、政界の不安定化とエリートの質の低下に直面していたのである。」

 1936年2月の総選挙を目標とする政民両党対立よりも早く、陸軍内部の統制派と皇道派の対立が頂点に達したのである。」、1935年7月15日の陸軍3長官会議が、相沢中佐による永田鉄山軍務局長惨殺事件、二・二六事件の引き金となったのである。このあたりは高宮太平「順逆の昭和史」(「軍国太平記」改題復刻版)に詳しい。

 元首としての天皇と大元帥陛下としての天皇を区別する解釈は美濃部達吉によってすでに採られていたこと

(’14/11/5記未完)
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