電子書籍について
 私は、最近、本は専らIpad(kindle)とxperiaz(kindle)で電子書籍を読んでいる。大きなフオントで読めるのでありがたい。内藤湖南、桑原隲蔵等は無料で読めるし、「黒田如水」吉川英治、「氷川清話」勝海舟などは99円で読める。問題は読みたい本が少ないことだ。半藤一利の「日露戦争史」をを読みたいと思ったが、電子書籍ではない。やむなくペーパー判を買ったが活字が小さく、目が疲れるので途中で中断している。それならばと書籍をばらして「自炊」して、PDFフアイルにしてipadで読んでみたが大きくすると画面を上下しなければならず、これも面倒で止めた。あきらめがたくPDFフアイルをTXTフアイル、さらにEPUBフアイルに変換したが漢字に文字化けが多くてうまくいかない。

 とにかくいまのところ電子書籍の出版点数が少ないことが難点だ。最近、半藤一利、中村隆英、半藤一利&加藤陽子、半藤一利&保坂正康と読んで次は中村隆英「昭和経済史」を読みたいと思ったがペーパー版しかない。

 世の中の大半の人は本はペーパーで読むものと決めつけているようだ。私の知人にこんな話をしてもほとんどの人は電子書籍などとんでもないと拒絶反応を示す。私自身のことを考えてみても若いときは出来るだけ古本や文庫本で読んだ。でも歳を取るとそうはいかない。

 話は代わるが、昨年5月某日渋谷から地下鉄に乗った折、お隣の年配女性から突然声を掛けられた。「失礼ですが、私、お隣から読ませていただいていました。その大きさの活字(フオント)なら私も読めます。どこで買えるのでしょうか」と問われた。私は正直なところ少し戸惑った。残念ながら、この年配の女性が利用するにはいくつかのハードルがあるのだ。私が地下鉄の車内で読んでいたのはタブレットで電子書籍の半藤一利「昭和史」(戦後編)を一番大きなフオントで読んでいたのだ。同じ著者の上巻は出版されて直ぐにペーパー版で読んでいた。以前なら間違いなくこの下巻も直ぐにペーパー版で読んだであろう。しかし残念ながら手が出なかった。私の歳73歳となると小さな活字はとても億劫になって諦めざるを得なかったのだ。

 今は毎日事務所に出てはいるが暇な身なのでいろいろとPC で検索をして、桐生悠々「関東防空大演習を嗤う」、西田幾多郎「愚禿親鸞」、吉野作造「蘇峯先生の「大正の青年と帝国の将来」を読んで」、清沢満之「我信念」等々、興に任せてどんどん読んでいる。「奥の細道」などのの古典はふりがな付きだ。CDで松平定知アナの朗読で聴いてはいるが、名文には驚くばかりだ。また、リンカーンの映画を見たときは洋書(勿論児童向け)で三冊ばかりダウンロードして読んでみた。1冊あたり150円とか200円だ。

 こういう電子書籍という便利なものが出てききたのだと感心してしまった。残念なのは出版物の範囲がかぎられていて読みたい本の出版点数が少ないことだ。先端の出版物は興味がないし、青空文庫から取り込んだ出版物は数や対象がかぎられている。各社の文庫本に収録されている古典をもう一度大きな活字(フオント)で読んでみたいものだ。

 この電子書籍は若い人向けと言うより視力の低下してきた年配者にとっての読書の楽しみを拡げてくれるだけに出版物の範囲をもっと広げてほしいと切に願わずにはいられない。

 個人的な意見だが日本の出版社の電子書籍に対する対応の遅さにはがっかりする。全面的に電子書籍がペーパー版に代わることはないだろうが、少しでも取り組みをしておかなければ決定的に遅れてしまうのではないかということだ。先頃、新聞でアマゾンが独占者の立場を利用して出版社をランク付けしていることが報じられた。購入した電子書籍をどこに保管しておくのか、問題は山積しているようだ。(’14/9/9記)
(
戻 る