中村隆英「昭和史」上、下(電子書籍版)を読む(’14/8/9)
 日本の近現代史は随分読んだ。整理をする前にもう一度読みなをしたい本はあるが、小さな活字では無理だ。半藤一利「昭和史」をKINDLEで大きなフオントで再読したが、そんな関係か、タブレットに中村隆英「昭和史」の案内が届いたので、直ぐにダウンロードして大きなフオントで読んだ。この書は1993年に出版され大佛次郎賞を、、この英訳版「A history of Shouwa Japan」は学士院賞を受賞したという名著だ。上巻は1926−1945迄を扱い、下巻は1945−1989迄を扱う。

 まとまった文章はなかなか書けないので断片的な感想を書き留めます。

 昭和史とは言っても半藤さんの言うごとく1905年に日露戦争に勝利し、ロシアから満州の諸権益を受け継いだことが昭和という時代を規定したことは間違いないと思う。ただ明治の政治家達が全て満州に進出することに賛成したわけではないようだ。例えば、児玉源太郎が満鉄の創立委員長になるとき、伊藤博文と山県有朋が「満州はれきっとした清国の属地だぞ、止めとけ」と言ったという話をNHKの歴史再発見「近代日本外交の歩み」(全13回)で池井慶應大学教授が話すのを聞いたときは驚いた。

 1922年のワシントン軍縮会議の全権代表の加藤友三郎大将の「金がなければ戦争は出来ない」と言って批准反対派を抑える事が出来たのだが、1930年のロンドン軍縮会議では条約批准を巡る海軍内部における艦隊派と条約派の対立、艦隊派の軍令部長加藤寛治大将、次長末次信正中将にたいする政友会幹事長鳩山一郎の働きかけ(いわゆる統帥権干犯問題)があり、加藤友三郎とは全く対照的な東郷平八郎、伏見宮博恭王の後ろ盾もあり、艦隊派が主導権を握り。条約派の大勢の人たちが海軍を去ることになりました。

 張作霖爆殺事件、未遂に終わった三月事件、満州事変、満州国建国、相沢中佐事件、二・二六事件と陸軍の政治行動はとどまるところを知らない状況となります。満州事変は陸軍だけの独走ではないのです。閉塞状況の中で国民やメデイアは熱狂的に支持をします。こうして国内の矛盾を全て外部に向けて、あの無謀な戦争に突入したのです。政治家が陸軍をコントロールすることが出来ず、その陸軍も内部では天皇道派と統制派の暗闘があって統制が効かないとなると行き着く先の答えは自ずからはっきりするわけです。

 とにかく昭和史上巻を読んで感じたことは最初から最後まで態度が一貫していたのは昭和天皇ではなかったかということだ。

 昭和史下巻は1945−1989迄を扱うのだが、この時代は自分が育った時代であり、1961年に経済学部に入り1,2年次藤塚ゼミで長洲一二著「日本経済入門」をテキストに口角泡を飛ばして議論をしていたときが、まさに高度成長の始まりであった。とにかく興味深く読んだ。ただどうしても私の関心は上巻です。どうしてあんな無謀な戦争を始めたのか。軍部だけで戦争が出来るわけではないのだと思うのです。私はこの昭和の歴史を知ることが大事だと思うのです。

 私は1941年(昭16年)1月に中国瀋陽(満州国奉天省奉天市大和区八幡町13号)で生まれ5歳まで過ごしました。終戦の翌年の1946年7月に母と弟と3人で北海道の祖父の元に引き揚げました。父は1945年4月に奉天で現地応召、8月、奉天郊外の兵舎から捕虜としてシベリヤに抑留されました。こういう私の個人的な経験から昭和史には特別な関心があります。とりわけ最近の日本と中国の関係には心が痛みます。何故こんな事態になっているのか。私は週刊東洋経済の「中国動態」というコラムを毎週注意して読んでいますが、中国には中国の様々な国内問題があります。それにしても昭和史前期の日本と中国の歴史に関する日本人の多くの認識の不足はどこから来るのでしょうか。虚心坦懐に歴史を知ることがとても大事だと考えます。私ごときがお勧めするのもおこがましい次第ですが、半藤一利「昭和史」、中村隆英「昭和史」をお読み下さい。(未)
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