私の読書備忘録2
私は大学には2年遅れで入りました。現役で大学に入っていればアルバイトをしながら通えたかも知れないだが、失敗をしました。伯父にも弟、妹がいてお母さん一人ではお店は無理ではないかと諭されました。高校2年の時に父が亡くなり生活の目処も立たず母が居抜きで譲り受けた菓子店の商売を手伝いました。母と二人で店番をするのですが、朝、店を開けて夕方までは暇なものですから商店街の外れにある貸本屋から本を借りてきて店番をしながら読むのです。こうして貸本屋の本、三島由紀夫、大江健三郎、開高 健等々、をことごとく読みました。貸本屋の親父に太陽堂が一番の客だと言われた時は我ながら驚きました。ご近所の出版社に勤めておられたFさんから伊藤 整の日本文檀史をお借りして全巻読んだのもこの頃です。こういう生活が2年程続きましたが、この頃となると何とか生活の目処も立ち大学に行くことが出来るようになりました。大学に入った4月に新宿紀伊國屋書店で偶然手にしたのが岩波新書の青山秀夫「マックス・ウエーバー」です。文学書に少し飽いていたのでこの本は新鮮な感動を与えてくれました。この書を読んだことから私の大学生活がはじまりました。 
青山秀夫
「マックス・ウエーバー」
私の大学生活はこの書から始まった。 マックス・ウエーバーの「プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」「職業としての学問」「職業としての政治」を一所懸命に読んだ。大学でマックス・ウエーバーを読んでいる頃、中国の文化大革命の様子が、連日、報じられていた。その時、私は中国ではこの種の精神作興運動はある周期を置いて定期的に起きるのは当然と思った。週刊東洋経済に「中国動態」という常設のコラムがあって中国の様々な状況を報じているが、「共産党幹部の腐敗」という記事を見るたびに昔読んだマックス・ウエーバーのことを考える。最近、kinndleで桑原隲蔵「支那の宦官」を読んだが汚職にしても日本と比べてそのスケールの大きさには驚くばかりだ。kindleで京大中国学の巨人桑原隲蔵、内藤湖南を読んだが圧倒された。
飯塚浩二
「日本の精神風土」
「日本の軍隊」
亀井勝一郎
「現代人の研究」
 私はマックス・ウエーバーを読んで社会科学に於ける価値判断の問題等々社会科学の基礎的なな問題を知った。ウエーバーの学問の根底には遅れたドイツ社会の文化的精神的な基盤の分析に有ったのだ。そんなことから日本文化の思想的な基盤に関心が向かった。飯塚浩二、亀井勝一郎の著作は夢中で読んだ。この頃、大学の課外講座で重友毅教授が井原西鶴の文学の本質は好色物にあらず倹約力行を通して健全なる町人倫理を説いたことにあった話されたことを聴いたときは日本文化の精神的基底に触れた思いであった。
石橋湛山
「湛山座談」
「石橋湛山評論集」
 私の母は大連から少し北の営口という町で生まれ育ち、奉天で結婚しました。そんことで生前よく満州の話をしました。母が「満蒙は日本の生命線」と教えられた話をしたおり、石橋湛山が「朝鮮・台湾・満州を棄てる」という論説をはったという話をしたら吃驚していた。戦後の日本経済のモデルだ。こういう言論人、政治家が日本にいたことを誇りに思う。
長谷川如是閑
「日本的性格」
「続日本的性格」
「社会評論集」
日本文化の根底には何があるか教えてくれた。それから長谷川如是閑の書いた社会評論をいろいろと拾い読みをした。最近、昔、読んだ評論がまとめてられて岩波文庫から「社会評論集」として出版された。如是閑はイギリス流のコモンセンスの観点からドイツ文化に傾斜した大正昭和の日本の知識人を批判する。
福沢諭吉
「福翁自伝」 
とにかく面白かった。「痩せ我慢の説」を読んで勝海舟、榎本武揚に対する厳しい評を知った。最近、半藤一利の「幕末史」(CD版)を聴いて勝海舟に関する評価を少し改めた。「学問のすすめ」も初編だけしか読んだことがなかったが、最近、kindleで全編を読んだ。自伝では「高橋是清自伝」、「フランクリン自伝」 、「日本人の自叙伝」全25巻(興味のある人物のみです)を読んだ。
笠 信太郎
「ものの見方考え方」
この書も私に大きな影響を与えた。平易な文章で「歩きながら考える」ということの大事さを教えてくれた。
シュテハン・ツバイク
「ジョゼフ・フーシエ」
 
 政治の裏側で権謀術策を尽くした人物伝だ。ナポレオンもおちおち戦っておられなかったという。この書に触発されてフランス外交の第一人者ともいうべきタレイランの評伝も読んだ。
日暮硯(岩波文庫) 

太平記(CD朗読)
 山本七平氏の何かの文章を読んでこの書を知った。信州松代藩の家老恩田木工の事蹟をを書いている。深い感銘を受けた。

太平記は読んだことがなかったが、山道で1時間あまりさわりを朗読で何度も聴いて、興に乗ってネットの国民文庫をダウンロードしてみた。朗読を何度も聴いているのでなんとか読み下せた。

蒙窃採古今之変化、察安危之来由、覆而無外天之徳也。明君体之保国家。載而無棄地之道也。良臣則之守社稷。若夫其徳欠則雖有位不持。所謂夏桀走南巣、殷紂敗牧野。其道違則雖有威不久。曾聴趙高刑咸陽、禄山亡鳳翔。是以前聖慎而得垂法於将来也。後昆顧而不取誡於既往乎。(太平記巻第一序)


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